2014年5月24日土曜日

戸籍と出生証書

戸籍抄本とか戸籍謄本は、フランス語で何と言うでしょうか。

辞書を引くと、état civilと出ています。

でも、日本で「戸籍抄本(戸籍謄本)を出してください」と言われる場面で、フランスやベルギーでは、「acte de naissanceを出してください」と言われます。

acte de naissanceの意味は「出生証書」。この母とこの父の間に、ここで生まれた、と書いてあるものです。そして、それは一生変わりません。

独身であろうが結婚しようが離婚しようが、その人がその両親からその場所で生まれたという事実は、一生変わらないからです。

日本では、結婚したり離婚したりする度に、戸籍を変える必要があります。

家族というものが、それ以上分割できない社会的単位として、捉えられているからでしょう。

個人が見えにくいと言うこともできると思います。

夫婦の姓に関しては、同じヨーロッパでも、実際の運営面では色々です。法律と実際の生活の間にズレがあることもあります。

フランスでは、法律上は、結婚するときに夫の姓をとってもいいし、妻の姓をとってもいいし、別姓でもいいし、二つの姓を好きな順番で組み合わせてもいいということになっています。でも、実際に、結婚前の姓を使い続けたいという女性の話によると、銀行口座や健康保険、税金、様々な場面で、拒否されることが多く、実に面倒だとのこと。家族や友人、結婚相手の反対に遭うこともあります。

ベルギーでは、女性が結婚後も自分の姓を使うのが普通です。

私のフランスの身分証明書は、苗字として生まれた時からの姓が記され、結婚名として、夫の姓が記されています。ベルギーの身分証明書には、生まれた時から持っている苗字のみで、夫の姓はどこにもありません。

ちなみに、日本語の「旧姓」は、nom de jeune fille で、「若い娘の名前」という意味です。

2014年5月23日金曜日

イースターの卵

イースターというと、キリスト教の復活祭というイメージが強いですが、春のお祭りは、イエス誕生の前から、ユダヤの民が行っていたものです。聖書では「過ぎ越しの祭り」と訳されていますね。

そして、卵をきれいに飾って贈る習慣は、それよりもさらに昔からあったようです。

アフリカでは、6万年前のものと見られる、彩色したダチョウの卵が見つかっています。また、古代エジプトやシュメールの墓からは、動物や植物の絵、幾何学模様で飾られたダチョウの卵が発見されています。

古代エジプトやペルシャでは、春になると、きれいに描いた卵を贈り物にしたそうです。

人々は卵から新しい命が出てくるのを見て、再生のシンボルとしたのでしょうね。

ケルトの人々は、彩色した卵を、女神エオストルに捧げたと言います。エオストルが英語のイースターの語源となっているという説もあります。

キリスト教では、卵はイエスの蘇りを象徴しています。19世紀まで、子供たちは、タマネギの皮やスミレの花、ハーブを入れたお湯で卵を茹で、色を付けていました。

ゆで卵を庭に隠し、子供たちが探す‥こんなイースターの遊びは、スヌーピーのマンガや童話でおなじみですね。

今ヨーロッパでは、ゆで卵ではなく、チョコレートの卵やチョコレートのうさぎ、ひよこ、にわとりを隠す人の方が多いようです。一体いつからゆで卵がチョコレートになったのでしょうか?

1847年、カカオバターとカカオの粉、砂糖を混ぜて暖めた、どろっとしたクリームのようなチョコレートが考案されました。これを型に入れると、冷めてかたまり、食べるチョコレートになります。それ以前は、チョコレートは飲みものとしてのみ消費されていました。

そうすると、卵に穴を開けて中身を出し、代わりに穴からチョコレートを入れて固めるのが流行り出しました。それが、イースターのチョコレートの始まりなのですね。

今年のイースターは、明日4月20日。都会では庭の無い家庭が多いため、公園で卵狩りをする人もいます。イースターが終わって何日も経った後、公園で遊んでいると、草むらの中から誰も見つけられなかったチョコレートが出てきたりするのも、ご愛嬌です。

2014年5月21日水曜日

我が家のイースター

先月のことになりますが、我が家のイースターのお話。

いつもながら、我がムスコは、チョコレートと同じくらいゆで卵が好きなので、普通のゆで卵とウズラの卵も用意。一昨年は、「オムレツも隠して!半熟卵も!」と言われたので、しっかり包んだオムレツや半熟卵も隠したものでした。

最近は、卵と同じくらいチョコレートも好きになってきたので、卵はゆで卵だけで勘弁。

いつもながら、彼は、外で卵を隠すより、家の中に隠してほしい人なので、朝食後、家の中で、すぐに、卵を隠します。

おもちゃの恐竜やペンギン、ひよこの近く、果物かごにさりげなく、それから、レゴの乗り物の中などに隠すと、とても喜んでくれます。レゴ・スターウォーズのクローンたちに卵を守らせてみたり。

中世には卵をタマネギの皮やハーブで染めていたということなので、タマネギの皮や緑茶と一緒に茹でた卵も混ぜました。

茶色っぽい鶏卵は色がきれいに出ませんでしたが、ウズラの卵はまずまず。

右の2つが色無しのお湯の中で茹でたもの。中央が緑茶、残りがタマネギの皮です。

イースター翌日の月曜日は祝日。2週間のお休みが終わり、ベルギーでは、火曜日から学校が始まります。フランスは、一週間遅く休みが始まり、一週間遅く終わります。

イースター休みの前日には、学校でもチョコ卵狩りがありました。学校が始まると、お友達同士で、また卵狩りをする機会があるかもしれません‥

2014年5月20日火曜日

母の日、ところ変われば

ベルギーの本屋さんのショーウィンドー。色々な言葉で、母の日にお母さんに贈る言葉が書かれています。

母の日といっても、国によって色々違いがあるようです。今年の母の日は、フランスは5月25日、ベルギーは日本と同じで5月11日。

5月の第二日曜日を母の日とするのは、1914年以来この日を記念日としたアメリカの影響でしょう。カーネーションを贈るのも、アメリカで母の日を提案したアンナ・ジャービスが、亡き母を偲び、白いカーネーションを贈ったことから来ています。

イギリスでは、復活祭の3週間前、3月に母の日があります。Mothering Day と呼ばれるこの日は、元々は、奉公に出ていた子供や若者が、家族の母体となる教会を訪れ、一家が一堂に会する日だったそうです。子供達は、道々花を摘んで、教会や自分のお母さんに贈ったとか。

フランスでは、1906年にアルタスという村で、子だくさんのお母さんに表彰状を贈ったのが、最初の母の日だと言われています。この日、9人の子供をもった2人のお母さんが、表彰状を受け取ったそうです。

その後、第一次大戦で夫や子供を失った女性へのオマージュとして、1918年、リヨンでお母さんの日が開催されました。

政府が母の日を記念日としたのは1929年。産めよ増やせよの国策に対応するためだったそうです。(しかし、第二次大戦中の1941年、傀儡政権のヴィシー政府がこの日をカレンダーに盛り込んだことから、ヴィシー政府が創設したと思っている人も多いとか。)

謂れは色々でも、日付としては、アメリカの母の日を取り入れ、5月の第二日曜日を母の日とする国が一番多いようです。ヨーロッパでも、ベルギーの他、スイス、イタリア、オーストリア、ドイツ、エストニア、スロバキア、オランダなどが、この日に母の日を祝うそうです。

フランスにいた時は、いつも日本の母の日に遅れ気味で、ぎりぎりであせったものです‥

母の日 嬉しくて悲しいプレゼント

ベルギーでもフランスでも、母の日の前になると、子供達は、学校や幼稚園で何かプレゼントを作ります。

今年私がもらったのは、自分で書いた詩と、お花の形の温度計でした。

子供は今4年生ですが、学校で自由に文章を書かせてもらったのは、初めてです‥フランスでもベルギーでも、子供達が学校で勉強させられるのは、正しく読み書きすることばかり。遅くとも3年生になると、文法用語もばんばん入ってきて、文の要素を分析します。

分析はするけど、綜合はいつするのでしょう?絵日記とか自由作文は一切無しです。題を決めた作文でさえ、行事の後に2、3行感想を書くだけ。子供達に自由に文章を書かせるのは無意味だと思われているようです。(このことについて書き始めると、あらためてがっくりしてしまいます)。

このあたりの事情は、同じヨーロッパでも、国によって大きな違いがあります。同じ学校に子供を通わせているイギリス人のお父さんと話したところでは、イギリスでは低学年の頃から自由に文章を書かせるそうですし、小学校中学年ともなれば、ずいぶん複雑な文章を書く子供も出てくるようです。

ドイツやアメリカのママたちも、フランスやベルギーの小学校が、子供達に創造する機会を与えないことにあきれ果てています。

北欧の国々が教育で大きな成果を上げているのは、こちらにも少しは聞こえて来ていますが、本気で取り入れようとする動きは見られません。
お花の形の温度計も、最初からできあがったものに、色を塗っただけです。(ムスコは、せめて蜂を描き込みましたが)。そして、それは幼稚園の時から同じことでした。子供が初めて持ち帰った母の日のプレゼントは、石に色を塗ったものでした。紺色の地に、鳥の形がオレンジ系で塗ってありました。

私が「まぁ、素敵ねえ。」と言うと、 「鳥の形は最初から描いてあったから、色を塗っただけだよ」とムスコ。 「(絶句)‥いい色をえらんだねえ。」 「色は先生が選んだんだよ」

私はひっくり返りそうになりました。

今回、詩を書くにあたって、他の子供達はずいぶん苦労していたようです。ムスコは日本の学校に通ったこともあり、家でも色々自由に作っているので、 「ぼく、どんどんアイディアが浮かんできて、あっという間に書いちゃったよ」 と言っていました。自分の気に入ったことだけは、すぐやるタイプです。

ちゃんと韻を踏んであって、生き生きとした詩ができました。母の日の工作ということで、成績にも入らないし、先生の裁量で自由に書かせてもらえたのでしょう。この年になると、図工も音楽もありませんから。(去年もありませんでしたし、いつから無いのか、正確に覚えていません)。

フランスは芸術の国ではないか、という声が聞こえてきそうです。でも、フランスがアートの中心だったのは、20世紀の中程までです。(今でも近代の芸術作品の売買という意味では、パリは中心です。ただ、現代アートと写真は、売買の方でも中心とは言えません)。そして当時は、7、8歳まで幼稚園にも学校にも行かず、自由にしていた人も多かったようです。今では、おしめさえ取れれば、2歳から幼稚園に行けます。そして、朝から夕方5時過ぎまで幼稚園にいる子も多いのです。楽しくいられればいいのですが、幼い子供達を怒鳴りつける先生が多く、「いつも誰か泣いているよ」。

まだ混沌として、よく整理されていない、幼い子供達のやわらかな頭。大芸術家さえ羨むような創造性が、そこにはうごめいています。それを、2歳の時から四角い型に押し込めてしまったら、どうなるのでしょう?

2014年5月19日月曜日

フレンチ・ボーイにご用心

留学先で会ったベルギーの女の子は、こんな話もしてくれました。

私と彼女は、二人とも、フランスの地方都市で夏期講座を受講していました。

ある日、彼女が一人でカフェに座っていると、近くのテーブルにいた男性が、自分を見ているのに気がつきました。

いえ、「見ている」などというものではなく、じぃっと見つめているようです。全く目を放さずに‥

怖くなった彼女は、急いで勘定を済ませると、カフェを出て、早歩きで立ち去ったとのこと。

実は、フランスではよくあることです。

私は、初めてフランスに来る前、フランス人の先生に、生活習慣についても色々と聞いていました。

フランス人の男性は、カフェや公園で気に入った女性を見つけると、サインを送るために、じっと見つめ続けることがあります。特に、女性が一人でいる時に。

見つめられた方は、無視するか、愛想のいい顔をするか、選べばいいのです。たいていの場合、完全に無視すれば、それが意思表示となり、やめてくれます。読書に夢中のふりをして顔も上げないとか、何か書いているふりをする、とか、電話をする、とか‥

「あ、ぼくもその本読みましたよ」なんて、話の糸口を掴まれてしまうこともあるかもしれません。もちろん、話してみて楽しければ、おしゃべりすればいいのです。そんな風に出会うカップルや友達もいます。

話をして、電話番号やメールアドレスを聞かれ、教えたくなければ、はっきり断ればいいだけのことです。

女性の後をつける男性もいます。

先生が授業でそう言ったとき、私たち日本人の生徒は皆、「えーっ」と声を挙げたものです。先生はフランス人の男性でしたが、 「確かに、お行儀のいいことじゃないのは認めますよ。でも、変態とか、そういうんじゃないんです!わかりましたね!」 と、やたら弁明っぽかったので、 堅物に見えるこの先生も、きっと、若い頃は同じことをしたのね、と思ったものです。

フランス人の女性の先生は、 「カフェや公園で、一人でのんびり座っていることができないの。年齢に限界があるのかどうかもわからない。日本では、女性が一人でいても放っておいてくれるから楽。」 と言っていました。彼女はすてきな人だけど、特別きれいとか、目を引くタイプというのではありませんでした。

ですから、もしフランスで(イタリアでもきっと同じでしょうね)、じっと見つめられたり、後を付けられたりしても、やたらと怖がったり、または、モテたと思って喜んだりする必要はないのですね。

いやだったら、「用事があるんです」と言って、はっきり断ればいいのです。

ただ、人気の無いところで後を付けられたりするのは、やはり心配です。誰かに付けられていると思ったら、(たとえその人がアナタのタイプでも!)人気の無い道には行かない方がいいでしょう。

話は変わりますが、パリの通りで、物取りに脅され、結婚指輪から何から全部取られたという日本人もいます。

やたらと怖がることもないけれど、注意は怠らない方がいいということなのでしょう。