2015年2月2日月曜日

わからないこと

わからないことがある。

最初の人質である湯川さんが拘束されたあと、政府としてどのような努力をしていたのか。

後藤さんがたった一人で湯川さんの捜索に旅立つまで、政府としてどのような努力をしたのか。

後藤さんが一人で行くしか方法はなかったのか。

(そして、現地に行くとしたら、たしかに、丸腰で、ひっそりと行くしか方法はなかっただろう。自衛隊が動き出したなどと知れたら、即、人質は殺されてしまっただろうから。)

その後、後藤さんが拘束されたことを知ってから、イスラム国の映像が流れるまで、政府は何をしていたのだろう。

世界が知るところとなって初めて、慌てたのだろうか。

人道支援をするのに、なぜあのように、テレビカメラの前でパフォーマンスしなければならなかったのか。

武器輸出も人道支援なのか。

大企業の人々を引き連れてお金をバラマキに行ったのは、「アベノミクス」の一環だったのか。

どうやって、人道支援のみだと信用してもらえるというのか。

哀悼のまこととは、どのような真か。

人質救出に自衛隊を出すとは何の話だろう。アメリカのように強大な軍隊をもってしても、ヨルダンのパイロットを救出することはできなかった。

テロリストたちに「罪を償わさせる(「償わせる」の間違い?)」とは、どういう意味なのか。

国民を憎しみの連鎖に巻き込み、戦争の口実にするという意味?

もちろん、イスラム国が、同じイスラム教徒ですら虐殺する非道きわまりない集団であることに間違いはない。

しかし、国際社会の中で果たすべきは、アメリカも日本も同じ役割だろうか。スイスもフランスも同じ役割だろうか。

イスラム国に勝ちさえすれば、それで終わりなのか。永続する平和を造るには、何をしたらいいのか。

私たちはこの地域に関してなぜこんなにも無知だったのだろうか。

なぜ私たちは、トルコの人々の親日感情がそんなにも強いと知らなかったのだろう。私たちは、一体どんな報道を見、聞いているのだろう。コツコツと信頼の絆を強めてきたのは、日本人ボランティアの方々なのかもしれない。

コツコツと、紛争下の人々や子供たちの生活を伝え続けた後藤さん。最後の日々に、何を思われただろう。ご家族のことに違いない。そしてその他には?どんなことを、考えられただろう。