2015年12月26日土曜日

招き猫の寺

招き猫発祥の寺と言われる豪徳寺。



こちらは山門。

ある時、寺を通りかかった人に、猫が手招きしたそうな。



手招きされた人がなんだろうと近づいて行くと‥

雨が降り出した。



その人は、寺の軒下に入っていたため、雨に濡れずに済んだということです。



豪徳寺は、小田急線豪徳寺駅からちょっと歩きますが、



豪徳寺商店街に、招き猫屋さんはありません。



豪徳寺の境内でも、招き猫は売っていません。



品位があるというべきか。



招き猫欲しかったな、というべきか。



境内に住んでいる招き猫たちは、売り物ではありません。



もしかすると、他にも「こっちこそ招き猫発祥の場だ!」と言っているところがあるかもしれませんね。

では、皆さん良いお年をお迎えください。

2015年12月24日木曜日

Merry Christmas!



今年のツリーは布で作りました。


ちょっと、というか、かなりいびつですが、抱きしめられるツリーです。

これは子どもが作ったパーツ。




暖かいクリスマスを!

2015年12月23日水曜日

野坂昭如さん逝く 2



子どもが小学校二年生のときだったろうか。学校で見せられた映画が悲しくてたまらないと言う。前半だけ見て、次は後半を見ることになっているのだが、あの映画を見るのだったら、その日は学校に行きたくないとまで言う。

一体どんな映画を見せられたのだろうと思って学校に問い合わせてみると、「火垂の墓」だった。

辛い作品。大人にとってでさえそうなのだから、小学校の低学年では受け止められなかったのかもしれない。

「どうしてあんな映画を見なくちゃいけないの」

そう聞く子どもに、当時、私はこんな風に答えたと思う。

「あの子たちが生きて、死んでいったことを、誰も知らなかったとしたら、もっと悲しいんじゃない?あの子たちのことを、みんなが忘れてしまったら、あんまりひどいじゃない。あの話は、あの子たちのことを、みんなが覚えているために、書かれたんじゃないかな。」

すると、子どもはうなずいた。

希望の無い話のように思える。しかし、「火垂の墓」の希望は、それが書かれたこと自体にあるのかもしれない。それが書かれ、私たちが読むことができるということ。世界中の言葉に翻訳され、映画化までされたということ。あらゆる時代に、あらゆる場所で、戦火の中に生き、飢えている子どもたちのことを、私たちが忘れないために。そして、もうそんな目に遭う子どもたちが、いなくなるために。

全ての優れた文学作品がそうであるように、「火垂の墓」は創作だそうだ。作者の実体験を、そのまま記録したのではない。自分は作中の少年のような優しい兄ではなかったと作者は語っている。幼い妹を優しく世話できなかった罪悪感を、野坂さんは一生背負っていたのかもしれない。

結婚した時、奥様に「今日の晩ご飯は何にしましょうか。」と聞かれ、「ご飯粒のようなもの。」と答えて怒られたそうだ。

そんな話を思い出しながらご飯を食べていると、お茶碗に付いたご飯粒が、螢のように光り出す気がする。

2015年12月19日土曜日

野坂昭如さん逝く 1

おもちゃは箱を

飛び出して

踊るおもちゃの

チャ、チャ、チャ!


 子どものころ、さんざん歌ったものだ。その時は、ただ楽しんでいたけれど、今改めてこの歌詞を見ると、「うまいなあ!」と唸ってしまう。 永遠の青年という印象があった。永遠の反抗期を生きている人。だから、亡くなったと聞いて、とてもびっくりした。

いつだったか、何気なく読んでいた週刊誌の中に、氏の文章を見て、その濃さに感服した。

同じ週刊誌に連載していた他の作家も有名な人たちばかりだった。けれど、ただおしゃべりをそのまま書いているみたいな文章が多くて、読み応えがなかった。ひとたび認められさえすれば、後はサラサラおしゃべり書くだけでお金もらえんのか。そんな感想さえ持ってしまった。

ところが、氏の文章は違った。彼は本気で書いていた。毎週毎週、本気で書いていた。しかも当時、氏は複数の雑誌に連載を持っていた。そして、そのどれにも本気で書いていたはずだった。

書くということは、こういうことなんだな、と思った。読み終わったら駅のゴミ箱に放り込まれる週刊誌に書く時ですら、書くということは、こういうことなんだ。

テレビでサングラスをかけ、酔っぱらいみたいに歌い踊る氏を見ながら、私は、この人は恐ろしく誠実な人なんだと呟いていた。

2015年12月17日木曜日

世田谷ボロ市 2015



 12/月15日、16日と、世田谷恒例のボロ市が開かれ、行って参りました。世田谷線の上町駅で降り、世田谷通りを渡ると、小さい通りは人でいっぱい。

古い着物や着物生地で作った小物、古道具やリサイクル品を並べる店もあるけれど、今のボロ市は新品が主流。

木で作ったお弁当箱やスプーン‥というか、おさじ。色々な種類の木の色が美しい。



昔ながらの植木屋さんも軒を並べているけれど、今風なのは、多肉植物のお店。



とはいえ、もちろん古着などもあります。季節柄、ダウンを売ってる店も多い。

グルメな楽しみもあり、ふつーのお祭りにある食べ物はだいたい食べられる。名物の代官餅は長蛇の列で諦め。代官屋敷を覗いてみる。



ボロ市って、歴史が長いんだなぁ。



PTAの皆様、お疲れさまです。



食べ物で買ったのは、生米麹のみ。早速、家に帰ってから水を混ぜ、漬け物に使ってみる。と言っても、大根に塩をして1時間ほどおいてから、麹に漬けて室温に置いただけ。翌日食べてみると、ほんのり甘くて最高。今度は何に使おうかな。



次回のボロ市は、1月15日と16日だそうです。

2015年12月14日月曜日

東京の紅葉


東京の紅葉は今が見頃かもしれません。

いつも通っている道を、ちょっと横に入ったら、竹林と紅葉が。この辺にお寺があるということは知っていたけれど‥心引かれ、覗き込むように眺めていると、庭で作業をしていた方が、「どうぞ」と声をかけて下さいました。



塀に穴のように開けられた、小さな入り口から入ると、夏はさぞかし涼しいだろうと思われる、木陰の道が続きます。



帰り道は参道を通り、山門を出て振り返ると、「実相院」の文字が。由緒あるお寺のようです。


世田谷区鶴巻の中央図書館のすぐ近くです。

2015年12月6日日曜日

一見、宗教の戦いであるかのように聞こえる。神という言葉を持ち出されると。でも、彼らの動機は、本当に宗教なのだろうか。

近代以降、「勝ち組」になった国々と、そのとばっちりを受けた国々があった。世界のルールを決めてきたのは、「勝ち組」になった豊かな国々だった。彼らは時に、よその土地に国境線を引くことすらあった。定規で引いたかのような、真っすぐな線。(日本も、「勝ち組」に追いつけ追い越せでやってきた。植民地さえ持った。)

「勝ち組」にとばっちりを受けた人々の中には、恨みを募らせた人たちがいる。さらにその中に、組織的な暴力に訴える者が出てきた。

ISの誕生にしても、アメリカのブッシュ前大統領によるイラク侵攻が絡んでいるではないか。ブッシュ政権は徹底的にスンニ派を排除した。その結果、職を追われたスンニ派の元将校たちは地下に潜ったという。

その中に、ISの誕生に重要な役割を果たしたバクルという人物がいる。彼は、イスラム主義者ですらないらしい。それにも関わらず、彼は聖職者のバグダディを正式なリーダーに据えた。宗教的な装いで、民衆を引きつけようとしたのだろうか。(このことに関する最近の日本語の記事はこちら http://www.huffingtonpost.jp/2015/05/21/jeb-bush-isis_n_7418502.html

歴史を遠く振り返れば、イスラムはいつも他の宗教を攻撃してきたわけではない。それどころか、後ウマイヤ朝、オスマン帝国、そしてムガール帝国では、かなりの宗教的自由が保証されていた。その証拠に、オスマン帝国には、当時ヨーロッパで迫害されていたユダヤ教徒が多く流入してきたことがわかっている。

考えれば考えるほど、近代以降の世界の歪みが、テロの生まれる土壌を作り出しているのだと思う。

20世紀、虐げられた人々の中から、ガンジーやキング牧師が現れた。彼らは非暴力の活動を繰り広げ、国際世論という強力な味方を得た。

テロリストたちの真の目的は何か。組織のリーダーたちと末端にいるテロリストたちでは、考えていることも同じではないだろう。

ISの重要人物バクルはイスラム主義者ではないと今書いたが、では、彼は何なのか。ナショナリストだということだ。

2015年12月5日土曜日

風刺と暴力の行方

最初に、そして何度でも言わなければならないのは、新聞の表現が気に障るから凶器を持って乗り込み、息の根を止めるということ、暴力で発言を封じるということが、民主主義の根幹を揺るがす重大事だということです。

忌憚の無い風刺で有名なフランスの週刊新聞、シャルリー•エブドは、イスラム教だけをからかっていたわけではありません。フランスの極右も、カトリック教会も、大統領も、左右両派の政治家も、彼らの風刺の対象でした。タブー無く、何でも笑いの種にしていたのです。裁判を起こされたこともありました。

暴力に訴えたことで、イスラム原理主義者たちは、確実に自分たちの敵を増やしました。原理主義者どころか、一般のイスラム系住民に対する敵も、増やしてしまいました。

ところで、風刺について語る場合、誰が誰を風刺するのかという問題があります。

古典的な風刺を思い起こすと、時の権力をからかったものが多いようです。風刺とは、 普通に闘うにはあまりにも強大な権力を、 力の無い民衆がちくりと刺してクスクス笑い、生きる力とした、そんなものではなかったでしょうか。

フランスのイスラム系住民は、 一部のラッキーな人々を除けば、信仰していようがいまいが、 就職などで差別を受けています。特に9.11の後はそうでした。差別されながら、自分が信じる宗教を風刺され、笑って受け入れる余裕のある人は、どのくらいいるでしょう。

日本のテレビの報道を見ていると、人権の国フランスだから、移民を多く受け入れてきたからこそ、このような事件も起こるという解説がありました。

しかし、事はそんなに単純なのでしょうか。

受け入れられた移民の2世、3世たち。フランスで生まれ、フランスの教育を受けても、社会の中で、平等に扱ってもらえないこともあります。

今回のテロの犯人たちが前に逮捕された時の弁護士が、テレビでインタビューに答えていました。それによると、かつて、犯人の一人は逮捕されたことにほっとしていると語り、今回のような凶暴な事件を引き起こす者とは別人のようだったと言います。

またしても、刑務所にいる間に過激化した人物によるテロが起きてしまったようです。

刑務所の中で何が起きているのか、私は詳しくは知りません。ただ、前にも書きましたが、フランスの受刑者数は、キリスト教徒よりイスラム教徒の方が遥かに多いそうです。にも関わらず、教化のために刑務所を訪れるのは、キリスト教の聖職者だけだそうです。

刑務所以前に、教育の問題もあります。

同じヨーロッパでも、近年移民の受け入れを増やしているフィンランドでは、宗教かモラルの授業が必修です。宗教は、キリスト教カトリック、キリスト教プロテスタント、イスラム教、仏教など、多くの選択肢があり、自分の好きなものを選べるそうです。どの宗教も選びたくない生徒は、モラルを選びます。ある学校では、仏教を選ぶ生徒が一人しかいないにも関わらず、そのたった一人の生徒のために、仏教の先生を雇っているそうです。(フランスの雑誌Geoより)

自分が信じるものを、そこまで尊重してくれた国に、テロリストとして報復する人が、どれほどいるでしょうか。

フランスでは、宗教と教育は分けなければならないという原則があります。公立学校には、宗教の授業はありません。 しかし、私立学校のほとんどはカトリック系です。カトリックを信仰していない家庭の子供も受け入れますが、宗教の授業があります。プロテスタントの子供も、イスラムの子供も、仏教の子供も、神を信じていない子供も、キリスト教カトリックの授業を受けなければなりません。

公立の学校には、かつて、宗教的な価値観を教える代わりに、市民としての権利を教える授業があったということですが、現在は廃止されています。

学校のお休みなど、生活のリズムは、公立も私立もキリスト教の行事で区切られています。クリスマス休み、復活祭休み、万聖節のお休み‥。ちなみにベルギーでは、公式には、春休み、冬休みと、宗教色の無い呼びかたをしています。

フランスとフィンランドでは人口密度も歴史も異なり、簡単に比較する事はできません。テロにはイスラム国への空襲のほか、様々な要素が絡み合い、移民政策だけで解決するとも思えません。ただ、フランスの移民政策が、本当に、自由•平等•博愛の原則に基づいたものであったのか、もう一度考え直してみることは無意味ではないでしょう。

地球上のどこにいても、自らを閉ざすことはできず、多様性こそが未来への道である時代。異なったバックグラウンドを持った人々がどう共生するか、知恵が求められています。

現時点でテロに対する警戒を強めること、また逆テロとも言うべきイスラム系住民への攻撃を防ぐことは、差し迫った応急処置でしょう。それと同時に、長期的な視野に基づいた、冷静で賢明な政策が取られることを望んで止みません。

どんな理由があっても、殺人は許されません。また、フランスが、民主主義の深い歴史を持ち、人権のためにがんばってきた国であることは確かです。その上で、何が足りなかったのか、再検討することも必要では。

2015年1月7日にパリで起こったテロ。いつまでも記憶されることでしょう。同時に、その後どのような政策が取られたか、人々がどのように反応したか、世界がどのように変わったかも、歴史に綴られることになります。

2015年12月1日火曜日

宗教の問題なのか

原理主義者によるテロが起きると、必ずといっていいほど、「だから宗教なんてない方がいい」という人たちが出てくる。

フランスやイギリスからISに加わる若者たち。一体どんな家庭で育ったのだろう‥。それに答えるレポートが発表された。2014年2月、フランスでは、若者が過激化するのを防ぐため、文化人類学者が率いる防止センターが設立された。すでにシリアに発った若者や、ISなどの組織に加わろうとしている若者の家族は、このセンターに連絡して支援を求めることができる。

センターに連絡してきた約120家族の内訳は次の通り。

無宗教の家庭が80 % 祖父母のどちらかが移民であった家庭はわずか10 %

所得で分けると、

中産階級67 % 低所得16 % 高所得17 %

若者の年齢は15 – 21歳

センターに連絡しなかった家族もいるだろうから、この内訳が、過激化した若者の現実を全て表しているとは到底言えないだろう。

それでも、120家族といえば、ごく一部とはいえない。なぜ無宗教の家庭から原理主義に走る若者が、そんなにも多いのか。

一つには、若者というものは、常に親に反抗するものだという理由が思いつく。

しかし、思春期に至るまでに、親はどんな価値観を伝えていたのだろう。

たとえ、親自身は信念を持って無宗教であることを選んでいたとしても、子どもたちに、その信念は伝わっていたのだろうか。

単に家庭で宗教を小馬鹿にしたり、けなしたりするだけでは、宗教に代わる何かを与えることはできないだろう。シリアに発った若者たちの親の中には、イスラム教を毛嫌いしている人も少なくないと言う。

「希望も目的もなく、『何か』を探している」とフェースブックに書いたら、ISから勧誘を受けたという少女もいる。それ以来彼女はISと連絡を取り続け、親が気付かなかったら家出していたところだったそうだ。

思春期の多感な時期に、人生の意味を探す人は多い。その時、神も哲学も友情も倫理もなかったら、どうしたらいいだろう。何か確かなものにしがみつきたいと思うのかもしれない。十分な思考訓練もできていなかったら、ISの単純で過激な言葉は、わかりやすい答えになってしまうのかもしれない。


(今回の記事は、フランス紙ル•フィガロとリベラシオンの以下の記事をもとに書きました。)

http://www.lefigaro.fr/actualite-france/2014/11/18/01016-20141118ARTFIG00158-le-profil-inattendu-des-djihadistes-francais.php

http://www.liberation.fr/planete/2014/09/14/la-radicalisation-des-futurs-jihadistes-est-rapide-la-plupart-sont-des-convertis_1100395