2016年12月24日土曜日

ヨーロッパでクリスマスの飾りといえばクレッシュ - 文鳥もお気に入り

ヨーロッパのクリスマスの飾り。

ツリーと同じくらい人気なのが、イエスさまの誕生シーンを再現したもの。

フランス語ではクレッシュといいます。

クレッシュには保育園という意味もあります。

厩で生まれたという聖書の記述にならい、ヨセフとマリア、そして動物たちが生まれたばかりの赤ちゃんを見つめています。

でも、イエスをかたどった人形は、25日になるまで飾りません。

それまで、マリアもヨセフも、そして馬や羊もじっと待っています。

我が家の文鳥にとっては初めてのクリスマス。

これなんだろうって思っているのでしょうね。


2016年12月14日水曜日

もったいない精神の元祖!世田谷ボロ市12月15日16日



いよいよボロ市明日あさって。

スキーウェアから家具、電化製品、植木、多肉植物、工芸品、日用雑貨、食器、そしてグルメの代官餅、などなど無いものは無いというボロ市。

ブリュッセルに住んでいたときは、毎週のようにどこかでフリーマーケットをやっていました。

パリに住んでたときは、各区で一年に一回くらいフリマがありました。

東京も最近リサイクルショップや古着屋さんが増えてきましたね。

でも、これほどの規模のフリーマーケットはあまり例がないのでは。

なぜ12月と1月にあるのか。
きっと理由があるのでしょうが、個人的には、冬のボロ市と夏のボロ市とか四季のボロ市とかやってほしい。

公共の交通機関を使うのがお勧めです。
最寄駅は世田谷線世田谷駅か上町駅。

掘り出し物が見つかりますように!

2016年12月13日火曜日

文鳥のヒナに餌をやる

前回の記事で、立派に私の邪魔をするようになった文鳥ですが、うちに来たばかりの頃はこんなに小さくて、頼りなかったのです・・・


2016年12月12日月曜日

白文鳥、元気に育ってます


今年の10月に家にやってきて、挿し餌で育った白文鳥。

というか、ほぼ白い文鳥。

背中にグレーが入っています。

幸いすくすくと成長しています。

一羽で飼っているせいか、飼い主がしていることに興味津々。

パソコンを打っていると、どうしても手伝うんだと言って聞きません・・・



2016年12月8日木曜日

手作りのクリスマスツリー




まだ飾り付け途中ですが。

このツリーを使うのは3年目。

超不器用なのですが、クッションの要領で作りました。

もう少し器用だったら、時々洗えるようにしたり、中綿出して片づけられるようにしたり、色々改良の余地があります。

去年までと違うのは、好奇心旺盛な小動物が加わったこと。


星はどこに片づけたかしら?

2016年12月6日火曜日

アドベントカレンダー、ヨーロッパの思い出




今年のアドベントカレンダーはこれ。
カルディで買ったものです。

今年は手作りしようかな、とも思いましたが・・・
手作りじゃなくてごめんなさい。

今日のところまで窓が開いて、中のチョコが消えています。




上の星のところが空いているでしょう?
日付のどれかにお菓子と一緒に星が入っているらしいです。
いつ出てくるのか楽しみです。
その日によってチョコかボンボンのどちらかが入っていますが、味もいいようでホッとしました。



アドベントカレンダーとの出会いはフランスに住んでいた時。

子どもが友達の家で見てきて報告してくれました。
「布でできたカレンダーなんだよ。
日付がポケットになってて、中にボンボンが入ってるの。
今日の分のボンボンを貰ったんだ。」

フランスでも、アドベントカレンダーを手作りする人はあまりいません。
子どもにあげたい人は布製か紙製のものを買ってきます。

布製なら毎年使いまわすことができますね。
ボンボンかチョコだけを新しく入れればいいのですから。

今回私が買ったのは紙製ですが、使いまわしができそう。
折り畳んで片付けられないのが、ちょっぴり残念。

ベルギーの小学校に行っていた時は、担任の先生がクラスのためにアドベントカレンダーを買ってくださったそうです。

毎日その日付の番号の子がボンボンを食べました。
15日なら15番の子。

一クラス20人だったので、まだ数日残っているのにクラスを一巡してしまいました。
21番目のボンボンは誰のもの?

「これは先生の。」
そういって先生もボンボンを食べたとか。

子どもはその話をした時、とてもうれしそうでした。
先生が遊びに加わってくれて、楽しかったのでしょうね。

ベルギーの小学校の先生はフランスの先生よりも、子どもの近くにいてくれる存在でした。

フランスでは、子どもというものは徹底的にコントロールしなければならないという伝統的な考え方が、未だに生きています。

アドベント(フランス語でアヴァン)とはキリストの降臨のこと。
救い主の誕生を待ち望み、その準備をする期間のことです・・・


2016年12月1日木曜日

ゴッホとゴーギャン展とレノンとマッカートニー



「ゴッホとゴーギャン展」を見に行った日の朝のことでした。

出かける前に何の気なしに見ていたニュースで、ジョン・レノンがポール・マッカートニーに宛てて書いた手紙の下書きが、落札されたという話がありました。

その手紙は、最後のアルバム「Let it be」を作っていた時に書かれたものだとのこと。

解散の直前ですね。



展覧会場で目にしたのは、大きく異なる個性を持ちながら同じ時代の空気を呼吸していたゴッホとゴーギャンの絵。
後期印象派を同時に開拓していた二人の絵筆の冒険の跡。

アルルでの共同生活は、ゴッホが自ら耳を切断するという悲劇で終わりました。

「ゴッホ」「ゴーギャン」という言葉で検索を掛けると、1ページ目に並んでいるのは圧倒的に耳のこと。

でも、会場に展示されている画家の言葉は、この共同生活が実り多いものでもあったことを示しています。

二人が見てほしかったのは、耳ではなく絵ですよね。




私はいつか読んだレノンの言葉を思い出していました。

「ぼくは生涯で二人のパートナーを得た。ポール、そしてヨーコだ。悪くないだろ?」

二人の創作家が火花を散らすとき、そこからは世にも美しいものが生まれてきます。

火花は時に爆発に至るけど、後に続く人たちに影響を与えずにはおかないものですね。

レノンの手紙にあるように、全てのアーティストに影響を与えることなどあるはずもないけれど。

(冒頭の写真、ゴッホが描いたアルルの跳ね橋は復元されているようです。)





2016年11月29日火曜日

「ゴッホとゴーギャン展」と「いたずらの天才」



美術館の入り口でさんざん考えていましたが、美術館に入ってからもまた考えてしまいました。

人気の展覧会だから、せめて午前中には行こうと10時過ぎには着いていたのですが、すでに場内はごった返していました。

チケットはもちろん前もって買っておいたのですが、それでも入るまでちょっとした列に並ばなければなりませんでした。

私はつい、何十年も前に読んだ『いたずらの天才』という本の中の逸話を思い出さずにいられませんでした。

手元に本が無いので細かいところは違っているかもしれませんが、こんな話でした。

主人公はアメリカ人。絵が大好きで、自分自身画家のようなもの。

ある日彼の住むアメリカにゴッホ展がやってくる。彼は友人と一緒に出掛ける。

ところが超有名な画家の展覧会というわけで大勢の人が押し寄せ、作品を見るのもままならない。

主人公は友人に言う。

「ここに来ている人たちのほとんどは、実はゴッホの絵よりも彼の伝説の方に興味があるのさ。」

証明してやるよ、と言うと、主人公は粘土で耳のようなものを拵える。
そして「切り取られたゴッホの耳」という説明書きを添え、展覧会場の片隅に置く。

すると、殆どの来場者は「ゴッホの耳」の周りに集まり、彼と友人はゆっくりと絵を鑑賞することができたというのです。

ちょっと意地悪ですが。

私たちは展覧会に行くとき、どれほど作品自体と向き合っているでしょう。

今回の展覧会では、ゴッホとゴーギャンが書き残した言葉の引用も展示されていました。

その中で二人とも
「私たちの絵に語らせなければならない」
という意味のことを言っています。

当時の意味はおそらく、自分たちが目指す絵画のコンセプトを説明してわかってもらうのではなく、作品自体が語らなければならないということだったでしょう。

今では、この言葉は彼らが残した絵を見る私たちの方に突き刺さってくるようです。

悲劇の主人公というゴッホとゴーギャンの伝説から、彼らの絵を解放して見るのが本当なのではないか、と。


2016年11月25日金曜日

東京都立美術館の入り口で、上野動物園の塀を見ながらこう考えた...2



美術館や動物園への小中学生の入場料を無料のままにしておいた方がいいと思う理由は、他にもあります。

食べていくのがぎりぎりの子どもたちも、美術館や動物園に行けた方がいいでしょう?

(場合によっては交通費の方が高いわけで、その辺も考えなければなりませんが。)

トランプが選挙期間中にイスラム系難民の受け入れを制限すると公言していた時、カナダは迎え入れた難民を無料で美術館に招待したそうです。

無料で美術館に行った子どもや大人の中に、将来のゴッホやゴーギャンがいるかもしれません。
美術史を研究する人もいるかもしれないし、美術館のために働こうという人も出るかもしれません。
美術市場をけん引する人が現れるかもしれません。

無料で動物園に行った子どもたちの中から、人間と動物の共存を考える大人が出るでしょう。
未来のノーベル賞受賞者かもしれません。
NGOで活躍するかもしれません。

ちゃんと食べて、真っ当な暮らしをすることが先だけど。


2016年11月24日木曜日

東京都立美術館の入り口で、上野動物園の塀を見ながらこう考えた...

昨日の勤労感謝の日は、上野の東京都立美術館へゴッホとゴーギャン展を見に行きました。

ところで、美術館側から見た上野動物園の塀はなかなか素敵なデザインですね。





都立美術館は中学生まで入場無料。
そういえば、上野動物園に行った時も都内の小中学生は無料でした。

悪くない、と思いつつ、 子どもの貧困についてのニュースを思い出していました。
あの子たちが少しでも楽になるなら、みんな喜んで美術館や動物園で少しばかりのお金を払うだろう・・・

もちろん、有料にした場合、そのお金が他のことに使われていないことをちゃんと見せてもらう必要があります。

その辺があまりクリアーに見えないので、やっぱり今のところ、無料なものは無料なままにしておいてほしいな。
他に減らせるものはあるんだろうし。

親の代で貧乏だとしても、希望が見えればなんとかなるという面もあります。
ただ、格差があまりにも広がると、代々貧乏ということになりやすい。
日本だけではなく私が住んでいたフランスでも、格差は深刻になってきています。
高等教育を受ける子の親は、やはり高等教育を受けていた場合がほとんど。
逆もまたしかりです。
アメリカでも金持ちは代々金持ちで、貧乏人は代々貧乏だというケースが多くなっているそうです・・・

希望が具体的に見えない。

例えば、一生懸命勉強すれば将来良い地位に着けるとわかっていて、必要な教育を受ける機会に恵まれていれば、希望があります。

最初から機会に恵まれていなければ、「どうせやってもだめ」という絶望感を持つ人が増えてしまう。

社会の中には不満が広がるでしょう。
犯罪も増えるでしょう。

一生懸命やれば自分たちの将来が変わるかもしれないという具体的な希望。
漠然とした根拠の無い希望ではなく。
ものすごく運に恵まれた場合だけ成功するという希望ではなく。

格差を縮め、全ての子どもたちが真っ当な生活を送れるようにすること。
高等教育を受けられるようにすること。
それは当人たちだけではなく、社会全体にとっての急務では。

「ゴッホとゴーギャン展」に入りながら、そんなことを考えていました・・・





2016年11月16日水曜日

パリのコンサート・ホール、バタクラン、スティングで再び幕を開ける




1年前テロの標的となったバタクラン。

記念すべき再オープニングを飾ったのはスティングでした。

このコンサートでスティングは、"Inch'Allah" という曲を披露。

海を渡る難民の気持ちを歌ったものです。

「肩の上には子どもが眠っている・・・」

パリやベルギーを襲撃したテロリストの中には、難民の群れに紛れてヨーロッパに入った者がいました。

しかし、全ての難民を、テロリストを見るような目で見ることになったら、私たちの社会はぶっ壊れてしまうでしょう

歴史を紐解いてみれば、人々が大移動するのは今回が初めてではありません。

武力を持って他国を侵略する戦争を別にすれば、人々が大移動する時、そこにはいつも理由がありました。

今海を渡っている難民や移民も、自分たちが住んでいた所が平和だったら、そしてちゃんと食べていけたら、元いた場所を動かなかったでしょう。

一部のフランス人たちは、スティングの「インシャラー」を反フランスと決めつけています。

スティングにしてみれば、そんな反応も想定内だったのでは。

ところで、一年前に襲撃があった当夜、演奏していたのは、「イーグルス・オブ・デス・メタル」でした。

その後、ボーカルのジェス・ヒューズは、劇場で働いているイスラム系の人物がテロに加わっていたと言い出しました。
バタクランが再開する時は、ぜひ演奏したいと言っていたそうですが、今回は入場すら拒否されました。
今年夏にフランスで行われる音楽祭への参加も、キャンセルされたそうです。



2016年11月14日月曜日

パリ、テロから一年

昨日13日は、130人が犠牲になったパリのテロからちょうど1年目。

コンサートホール「バタクラン」やレピュブリック広場では、犠牲者を追悼しようと人々が集まりました。

バタクランでは、犠牲者90人の名前を刻んだ碑の除幕式がありました。



政治家主導の公式行事もありましたが、レピュブリック広場には自然発生的に人々が集まり、花を捧げました。

広場にはピアノもあり、犠牲者にオマージュを捧げる人々が、次々に様々な曲を弾いたそうです。

サン・マルタン運河では、日本の灯篭流しのように、カンテラを流す人々も。

テロの犠牲者を支えるNGOに寄付をする人も多かったようです。




ある男性は、犠牲となった妻が取り組んでいたことを、自分が続けていると語りました。
彼女はマダガスカルの子どもたちを助けるNGOをしていたそうです。
そのNGOは妻にとって子どものようなものだから、自分が後を引き継ぐのがとても大切なことだ、と。
 
至る所に、ラテン語のこのフレーズがみられました。

Fluctuat nec Megritur

パリ市のモットー。
波に襲われても沈まない。


2016年11月13日日曜日

トランプ勝利、フランス極右政党は歓迎

フランスの極右政党「国民戦線」の女性党首、マリーヌ・ルペンは、トランプの大統領選勝利を歓迎しているらしい。 

両者は似ていると言われているが、若干違いがあるだろう。

大した違いではないが・・・ 

スキャンダラスな暴言でネット上の話題をさらったトランプ。 

フランスの「国民戦線」の場合、暴言で注目を浴びたのは現党首の父親、ジャンマリ・ルペンの方で、1980年代のことだった。 

当時、ジャンマリ・ルペンはユダヤ人虐殺はでっち上げだとか、ガス室は存在しなかったとまで言っていた。 

娘、マリーヌ・ルペンは「家業」を継ぐと、戦略を変えた。
歴史上の事実を極端に否定するのはやめ、普通の人々に近寄りやすい雰囲気を作っていったのだ。 

彼女の主張を聞いた人々の中に、「え!けっこうまともなこと言ってるじゃない。父親とは違うね」という反応を示す人も出てきた。

「国民戦線」が支持を増やした理由は、社会的状況だけではなく、語り口を変えたからでもあった。 

とはいえ、娘マリーヌ・ルペンの方も、移民排斥、反イスラム、反ヨーロッパを主張していることに変わりない。

相も変わらず、共存ではなく排除を、開くことではなく閉じることを唱え、人々の間に憎しみをまき散らしてている。

2012年、そんな「国民戦線」の在り方を風刺したビデオクリップが流された。 

マリーヌ・ルペンらしき女性が、一人で鏡に向かって厚化粧を落としている。 

完全に化粧が落ちると、父ジャンマリ・ルペンの顔が現れるというものだった。



顔だけ変わっても、本質は変わらない・・・

2016年10月22日土曜日

ボブ・ディラン、もらっときゃいいのに

ディランはそのキャリアの間に、何度もブーイングされました。

 ノーベル文学賞の受賞が決まった時も、例外ではありませんでした。 

 作家の中には、シンガーソングライターが受賞するなんて我々に対する侮辱だ、とまで言った人もいるらしいですね。 

 紙に書かれていない詩は、詩ではないとでもいうのでしょうか。

 ノーベル賞の選考委員までが一部ブーイングを始めました。

ディランが呼びかけに答えないというので。 

 ディランが無礼で傲慢?

 「せっかくノーベル賞をやるって言ってるのに有難がらないとは許せない!」 なんて反応をするのだったら、ノーベル賞こそずいぶんと傲慢になったものです。

サルトルが授賞を拒否したのは傲慢ではないけれど、ディランが応えないなら傲慢になるわけ? 

 どっちにしても、ディランはブーイングされないわけにはいかないでしょう。 

 受け取っても、受け取らなくても。 

それだったら、もらっときゃいいのに。

今回ディランが受け取らなかったら、ノーベル賞は、再び文学の定義を狭めてしまう可能性もあります。いわゆる「文学者」意外を選ぶのは、危険だということになって。 

 だって、毎回拒否されるわけにはいきませんから。 

 だから、もらっときゃいいのに。 

 ただ、「無礼で傲慢」ではない選考委員が言っているように、このようなディランの反応は全く彼らしいものであり、予期できるものでもありました。 

 だから、無理はしないで、好きにすればいいさ。

2016年10月15日土曜日

ボブ・ディラン ノーベル賞受賞で「おめでとう」は誰に 2




ロックの詩学というものがあると思います。

(もちろん、ディランはロックというジャンルでくくってしまえるアーティストではないし、そもそもフォークから始めたわけですが。)

デイランの歌詞でも、ビートルズの歌詞でも、改めて読んでみると、「これは20世紀最上の詩の一つだ!」と感嘆することがあります。

あるいは、一見単純に見える言葉が、音楽やリズム、声に乗ることで、詩となることもあります。

ただ、良い歌詞を書けば、才能があれば、誰でも受賞できるというわけでもないでしょう。

ディランの詩が一貫して、どのように社会と関わり続けたか。そのキャリア全体に対する、惜しみない賞賛と感謝の印、それが今回のノーベル文学賞だと思います。

だからやっぱり、ファンの一人として、「おめでとう」と、ディランにも言いたいのです。

2016年10月14日金曜日

ボブ・ディラン ノーベル賞受賞で「おめでとう」は誰に 1



ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞、おめでとうございます。
と私が言いたいのは、選考委員の方々に対して。

ノーベル賞が、生き生きとした価値あるものとして、今後も信頼を保つために、遅すぎない決定でした。

ボブ・ディランのファンの中には、反体制の巨星が、受賞によって、体制の中に片付けられてしまうのではないかと心配する人も多いかもしれません。

でも、今アメリカで起こっていること、世界で起こっていることを考えた時、ディランが受賞する意味は大きいでしょう。
ニュースでは、ミュージシャンとかシンガーソングライターとばかり報じられています。

もちろんそれは事実です。

でも、それだけじゃない。彼が創る歌詞の文学的価値に感銘を受けた人も多く、本として出版された歌詞を「読んで」いる人は昔からいました。

2004年に発表された自伝も評価が高く、本国アメリカだけでなく、当時私が住んでいたヨーロッパでも評判になっていました。

自伝によって、人々は彼の文学的才能を再確認していたという感じ。

それでも、フランスのメディアを見ると、「意外な文学賞」という言葉も並び、少しじれったい思いがします。

そもそも、最初の詩というものが、書かれたものでなく、語られたもの、歌われたものであるなら、デイランこそ正統派詩人ということもできるかもしれません。

2016年10月4日火曜日

ノーベル賞と教育の効果



大隅良典教授の医学・生理学ノーベル賞受賞、おめでとうございます。
医学・生理学の部門では、日本人の受賞が3年連続となりました。

ノーベル賞もオリンピック同様、本来は国ごとのメダルの数を競い合うためにあるわけではないでしょう。

ただ、どの分野でどの国の人がどの時期に多く受賞しているかを見て、その理由を考えてみることはできるでしょう。

私は子どもと一緒に三ヶ国の小学校を体験しました。フランス、ベルギー、日本です。

日本では、「海外」と日本を

比べることが多いですね。でも、「海外」と言っても、世界には数えきれないくらい多くの文化圏があって、それぞれに違いがあります。

ヨーロッパの中で比べても、かなり違うのです。

ベルギー、フランスという隣り合った国、同じフランス語を使う国同士でも、やっぱり様々な違いがあります。

例えば、フランスの小学校1年は、読み書きが中心でした。ちなみに、子どもが通っていたのは、伝統的なカトリック系私立でした。フランスでも、モンテッソーリやシュタイナーなど、オルタナティブな教育を行っている学校もあります。

子どもの学校では、来る日も来る日も読み書きをやっていて、持ち帰る宿題も読み書きばかりでした。

読み書きと言っても、正しく書き、読むことを覚えるのが勉強で、作文などは一切ありませんでした。

ベルギーでは、算数にも力を入れていました。読み書きの進度は、2年生の時点でフランスより遅れていましたが、3年生にもなると変わりはなくなります。

ただ、どちらの国でも、子どもの好奇心を刺激するとか、それに寄り添うということはあまりありませんでした。

我が家の子どもは、小学校1年生の半分くらいを日本で過ごしました。チューリップを育てて観察したことが、強く印象に残っているようです。

鉄は熱いうちに打てといいます。幼い頃は誰でも好奇心があるもので、低学年のうちに実物を観察したり、触ってみたり、試してみることが大切なのでは。

我が家の子どもがベルギーで2年生だった時の話です。先生が、オタマジャクシはカエルの子であるとみんなに説明しました。カエルになると、シッポはなくなります、と。

一人の子が「シッポはどこに行くんですか」と質問しました。

先生は知らなかったそうです。

その先生は別の意味ではいい先生でした。知らないことを知らないと正直に言ってくれてよかったとも思います。

でも、先生はオタマジャクシがカエルになるのを見たことがないのですね。

抽象的な知識だけを知っていて、それを生徒に伝え、子どもたちもまた、知識だけを受け取っているのです。

ちょっと自慢させてもらうと、我が家の子どもはオタマジャクシのシッポがどうなるか、学校に上がる前から知っていました。

オタマジャクシを捕まえて、飼ったことがあるからです。シッポがなくなり、手足が生えたカエルを、見つけた川に放しに行ったことがあったからです‥

同じヨーロッパでも、ドイツやイギリス、北欧では、また事情が違うでしょう。アメリカやカナダはまた別でしょう。

日本は、明治にも戦後にも、西洋をモデルとして取り入れ、アレンジしてきました。教育に関しても、最初はどこかの国がモデルになっていたのでしょう。

そのモデルと、それから、昔からの身近な自然との付き合い方は、けっこうマッチしていたのかもしれません。例えば、子どもが虫を持ち帰ったとき、「キャー、気持ち悪い!汚い!」とは言わないで、空き瓶を探してきて穴を開けてやるような態度。

そんな些細なことからも、科学的好奇心は育まれていくのでは。

2016年9月30日金曜日

動物園は夢の国?

最近の動物園は、生態的展示を心がけているそうです。

生態的展示とは、檻に入った動物を見せるだけではなく、その動物がどんな環境でどんな風に暮らしているかも見せる展示だそうです。

だから、なるべく自然の状態に近い環境で動物を飼うようにするそうです。

動物が身を隠したいと感じたら、隠れる場所もちゃんとあります。行ったとき、たまたま動物が身を隠していたら、その動物を見られないわけです。見られるときもあれば見られないときもあるというのは、自然なことですよね。

もちろん、限られたスペースで限界はありますが。

動物園は、動物をただ見世物にする場所ではなく、野生動物やその環境に関する理解を深める場になっているようです。


久しぶりで上野動物園を訪れたら、 蓮池の上をワオキツネザルが歩いていました。

動物園の中は木も茂り、東京にいるのを忘れてしまいそうですが、背景にビルが見えると、突然現実に引き戻されます。

連れて行った子どもにとっては、けっこう幻滅するものだったようです。

京都駅に着いたときに、ビルしか見えなくてがっかりする外国人観光客みたいなものでしょうか。 

自然に近い環境で、遠い国に棲む動物たちを間近で見られる動物園は、確かに夢の国のよう。

一方で、危機に瀕した動物たちと出会える動物園は、世界の現実について、どこよりも確かに知ることのできる場所かもしれませんね。



2016年9月28日水曜日

上野動物園、何歳になっても楽しいな!

台風の合間を縫って、久々の上野動物園。

動物園にたどり着くまでに、上野公園の変わりように少しびっくり。

動物園の近くに、でかでかとスタバが。

開園時間(9時半)の直後に着くと、祭日にもかかわらず列はありませんでした。

東京都の小中学生は無料。昔は払ってたと思う。証明に何か見せないといけないかな、と思いましたが、学校の名前と所在地をいうだけで大丈夫でした。

入り口近くのパンダの檻に直行。



運よく一頭は起きていました!台の上に座りこんで、手で持った笹を食べています。


パンダが初めて日本に来た時は、立ち止まって見られないほどの込みようだったと聞いていますが、ちゃんとゆっくり見られました。

パンダは、一日中食べては寝、食べては寝、の生活だそうです。

夜も食べては寝、してるそうです。

笹という消化しにくいものを主食にしているから、食べて消化するために、エネルギーを一杯使っているのでしょうね。

他にも朝寝をしてる動物がいました。


おはよう、カワウソさん。

2016年9月25日日曜日

養老渓谷に向かう鉄道の旅 - 小湊鉄道

内房線五井駅から小さな鉄道に乗り換えます。



小湊鉄道。



座席も懐かしい。

出発進行。



汽車の窓から。



上総牛久から養老渓谷駅までは、トロッコに乗り換え。



鉄道ファンに男性が多いのは、万国共通のようです。どうしてでしょう。まぁ,乗り物全般に言えることですが。



客席は、オープンワゴンと冷暖房付きの普通のワゴンが選べます。



渓谷の上を通る時は、ゆっくりゆっくり走ってくれました・・・良い景色を眺めるためのサービスだと思いますが、スリル満点でした・・・



やっと養老渓谷駅に着いて、私たちは渓谷へ向かいました。しかし、鉄道ファンの紳士は、「次何時に出るんですか」と駅員さんに聞いていました・・・

2016年8月29日月曜日

桜新町のカフェ、ラボエームのテラスよりサザエさんに挨拶




ラボエームといえば、イタリアの作曲家プッチーニのオペラ。

元になったのは、フランスの小説「放浪生活」。

肩寄せ合って暮らす貧乏なアーティストたちと、やはり貧乏な隣人ミミの物語。

シャンソン歌手アズナブールにも、同じ題名の曲がありますが、直接オペラとは関係がありません。

二度と戻れない無名の貧乏時代を追憶するような歌です。

それやこれやで、ラボエームという名前のイタリアンレストランは、東京だけでもけっこうあるようです。

その中の一つに、桜新町のラボエームがあります。

ここのテラスはすごい。

何がすごいって、テラスに座ると、真ん前に、ミミならぬサザエさん一家がいる。







暑い夏にわざわざテラスに座ろうという人はあまりいないらしく、今ならほぼ絶対テラスに座れる。




上からミストみたいなものが出ていて、少しは涼も取れる。

それに、冷たいものが飲みたくてカフェに入ったのですから、無理に冷房に入らなくても。

ここのアイスティーもすごい。

何がすごいって、アイスティーを飲んでいると、普通はだんだん氷が溶けて、薄まってくる。

ところが、ここのアイスティーの氷は、アイスティーで出来てる。




だから、氷が溶けても薄まらない。

まだアイスコーヒーは試したことがないが、ぜひトライしてみたいものである。

お勘定は、ヨーロッパのカフェのように、テーブルで済ませることができます。

スイーツやお食事メニューも充実。

2016年8月22日月曜日

外房のレストラン、シーソングは気前がいい!

台風9号で仕事がキャンセル。  

被害が大きくならないことを祈りつつ、夏に撮りためた写真を整理しています。

 良い時を過ごした房総も、大変なことになっているようです。  

今年は外房で、すてきなレストランを見つけました。





海岸のすぐそばに、Sea Song はありました。




入り口の外には小さな池があり、金魚が泳いでいます。

室内も広々としていましたが、テラスに席を取りました。




テラスは、完璧な外テラスと、半室内のテラスがあります。

私達が座ったのは、半分室内の方で、日によっては暑いそうですが、その日は自然の風が通って、とても気持ちがよかったです。

鳥の唐揚げSサイズを取ったら、なかなかのボリュームで、これと付け合わせで一食分のお食事という感じでした。お値段は360円。

サーファーセットはメインのハヤシライスにサラダとフライドポテト、デザートとコーヒーがついて 、1421円。ご飯は、雑穀入りと白いご飯が選べます。

デザートも、一応ついてるって感じのデザートではなくて、ちゃんとおいしいです。




サーフィンという、お腹が空くスポーツをする人のため、美味しくてボリュームのあるお食事を作っているとのこと。

そのほかに、レディースセットやパスタもあり。

場所は一宮町東浪見。

今は高い波がうねっているにちがいありません。

海の人々に被害がありませんように。

2016年8月20日土曜日

カギ間違えた!田舎から帰って締め出しも、子どもに励まされる



15日にバスで長野県から東京へ。

来年から、同じ日付に高速道路に乗るのは絶対にやめようと思います。

やっと自宅にたどり着き、扉に鍵を差し込んだものの、あれ?何か変だ。

あー、この鍵もしかしたら・・・まさか・・・

間違えて、ゴミ捨て場の鍵を持ってきてしまった。

ということは、自宅の鍵は田舎に。

あまりのことに、子どもは地べたにひっくり返ってしまった。

けれどブーイングはなし。

急いであちこち電話して、今誰もいない親戚のうちに泊めてもらうことに。鍵を持っている従兄宅へ。

子どもも一緒に行くと言う。

「ママ、こんな時こそスマイルだよ。」「自分を責めないで。」

いつの間にこんなに立派に(?)なっていたのかと、内心驚く。

鍵を取りに行く道々、こう考えた。

信頼とは、相手が絶対に鍵を間違えないと思うことではなく、たとえ相手が鍵を間違えても、一緒に次善の策を講じることのできる心構えを言う。

のかな。

従兄はにやにや笑いながら、「大変だねぇ。」と一言。

ダメママによく出来た子ども。

とはいえ翌日は、罰ゲームに3回まわってワン!をやらされました。

2016年8月8日月曜日

経堂のカフェ、スローハンドは本当にコーヒーがおいしい

カフェ、コーヒー、喫茶店、農大通り、経堂



開店以来気になっていたカフェ、スローハンド。
入り口はオープンで、農大通りに向かって開かれています。

カフェ、農大通り、経堂、コーヒー


コーヒー豆を買って帰るだけというのもありなのですね。

木を使った店内は、シンプルなデザインで気持ちがいい。

注文カウンターに立って少し迷っていると、お店の方が、それぞれのコーヒーの特徴を説明してくださいました。



フルーティーで酸味が少ないというのを選んで、店内を眺めながらちょっと待ちます。

カエルのイラスト


やがて運ばれてきたコーヒーは、本当に豊かな味わい。

うわぁ。いい1日が始まる...

お洒落で気取ってるだけのカフェじゃないんだね。

カップに入れたコーヒー

このカフェは閉店しました。


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2016年8月7日日曜日

外房の海でのんびり



房総の中でもあまり行く機会がなかった外房の海へ。
一の宮海岸は波が高く、サーファー向きですね。

小さなお子さんのいるファミリーにはお勧めできません。

とはいえ、波は高くても砂浜近くは浅いので、サーファー予備軍が波に馴れるにはうってつけかも。



砂浜にカニがいっぱい歩いているのも、混み合った浜辺では考えられないこと。

スズメのような小さな鳥が、チョコチョコ歩きながら何かしらついばんでいたり。

海岸の近くは田んぼ。

夕暮れの田んぼの脇には、なぜか決まって猫が座っていたり。




帰りには、各駅しか止まらない駅へ。

駅員さんもいないし、他に誰も待っていないけど、セミは色んな種類がいるらしい。

ベンチの後ろはすぐ竹藪。



2016年8月5日金曜日

地球が一つの身体だとしたら




気功法の達人に言わせてみると、髪の毛を一本引かれただけでも、全身が反応し、対応するのが理想の身体だそうです。

気功法と言ったとき、健康法としての気功法と、武道としての気功法があります。

だから、この話は、健康な身体にとっての理想であると同時に、強い身体、負けない身体にとっての理想ということなのでしょう。


解剖学的な医にとって、手や足、目や胃は、一つ一つ別々のものです。 気功法では、全てのパーツは連動していると考えるそうです。

身体全体の調子が、髪の毛一本の色艶にも影響することは、今ではみんなが知っていること。

突然髪の毛がハラハラと抜け始めたら、誰でも身体の中に深刻な異変が起こっていると思うでしょう。

髪の毛一本にとって気持ちのいい身体は、身体全体が健やかだということですね。

今の地球のことを考えると、地球全体が一つの体のようです。

実は、最初から地球は一つの体だったのでしょう。

けれども、大昔は人間が及ぼす力なんて知れたものだったから、私たちにはそれが見えなかっただけでしょう。

どこかの森林が一つ縮まれば、地球の裏側にまで、痛みが走る。

髪の毛一本くらいにしか思えない些細な現象でも、重大な変化と結びついている可能性がある。

私たちの社会もまた、一つの身体のようなものでしょう。

足の小指を骨折してみれば、この小さな部分が、歩くために、バランスを取るために、大切な役割を果たしていたことに気づくはずです。

小指が痛いと、膝や腰にまで無理が来ます。

小指にとっていい身体。身体にとっていい小指。

小指を大事にする身体は、膝や腰にとってもいい身体のはずです。

2016年7月30日土曜日

外国人嫌いと同国人嫌い  5



東京に住んでいたあるフランス人。

日本ではフランス語の先生をしていました。

フランス政府に派遣された優秀な人です。

仮にポールと言っておきましょう。

同じ学校に、やはり政府から派遣された、アフリカ出身の先生がいました。

ポールは、彼のことを「この学校で一番優秀な人だ」と言って、限りなく誉めたたえるのでした。

ある時、そのポールが、イギリス人の知人と話し合った後のことです。

忌々しそうに、「あのアングロサクソンめ!」と言うではありませんか。

近所同士は仲が悪いと言います。

その一例だったんでしょうね。

同じ頃、東京に住んでいた欧米人が、
「日本人にスシをおごられるのは、もう飽き飽き。」
と言うのを聞きました。

「親切にしてもらうのは嬉しいけど。」

一方で、アジアの他の国からの留学生は、そんな親切な日本人になかなか出会えないようです。

なぜそうなるのか。

別にスシおごれとは言いませんけど。


2016年7月29日金曜日

外国嫌いと同国人嫌い 4

Photo credit: Falcon_33 via Visualhunt / CC BY-SA


ある時わたしは、セネガルの人とイタリアの町、ベローナを歩いていました。

彼とは仕事で一緒になり、仕事が終わった後のひと時、ぶらぶらしていたのでした。

突然、彼は壁に寄り掛かった一人のアフリカ人らしき人に近づき、熱心に握手をしました。

戻ってきた彼に、私は聞きました。

「お知り合いですか。」

「そうじゃないけど、彼もセネガル人なんです。」

「アフリカでも、セネガル出身だと見ただけでわかるんですか。」

「わかります。」

彼は、レオポール・セダール・サンゴールの、確か孫にあたる人でした。

サンゴールは、セネガルの初代大統領にして詩人。1983年には、アフリカ出身者として初の、フランス・アカデミー会員に選ばれています。

おじいさんから聞いた言葉として、彼はこんなことをみんなに話してくれました。

「世の中には、人と人の間に橋を作る人もいれば、人と人の間に壁を作る人もいる。」

写真は、パリのセーヌ川にかかるレオポール・セダール・サンゴール橋。

この橋がかかるパリで、私は、日本人びいきのタクシー運転手に遭ったこともあります。

その人もアフリカ出身者でした。

彼が言うには、日本人のお客さんが好きな理由の一つは、日本人が値切らないこと。

もう一つは、まだ駆け出しだったとき、とても寛容な日本人のお客さんに遭ったことだそうです。

その頃は、ナビなんてなくて、彼は目的地に着くまでさんざん迷ってしまいました。

でも、その日本人カップルは、少しも怒ることなく、楽しそうに笑っていたそうです。

すっかり遠回りして、ようやく目的地に着くと、その日本人たちは何も文句を言わず、遠回りした料金も払ってくれた。男性の方は彼の肩を叩き、女性は面白そうに笑っていた・・・

その話、十分に信じられます。

ただ、その同じ日本人が、新宿区で急いでいる時、日本人のタクシー運転手に同じ態度を取るかな、と、私は思わずにいられませんでした。