2016年6月30日木曜日

リンドグレーンに聞いてみよう



しばらく前にテレビを見ていたら、日本では子どもを罰するとき、置き去りにする傾向があり、海外では閉じ込めると言っていたけれど、そうかな。

日本でも、かつて押し入れというものがありました。

それに、フランスにいた時、やはり親たちが、「置いてっちゃいますよ」というセリフを言うのを何度も聞きました。

(ところで、海外って、どこのことだろう。アメリカ?ヨーロッパ?ヨーロッパならどこ?ロシア?中国?ニュージーランド?エジプト?それともマダガスカル?)

スェーデンでは、今、子どもを閉じ込めるのは法律で禁じられているそうです。

ということは、かつて、行き過ぎた親がいたということでしょう。

リンドグレーンが生み出した有名ないたずらっ子、エーミルは、いたずらをするたびに「木工部屋」に閉じ込められていましたね。

エーミルは、実在の男の子がモデルになったと読んだことがあります。

本の中では、あまりお父さんのことを好きではない様子。どんなに罰を受けても、やっぱりお父さんが好き、というのとは、ちょっと違っています。

(リンドグレーンの作品には、エーミルという男の子が二人出てきます。今お話ししているのは、いたずらっ子エーミルのことです。)

子どもの生活を、とてもよく理解していたリンドグレーン。時々、彼女の意見を聞いてみたくなります。

アメリカでは、子どもの誘拐がとても多いようです。だから、子どもたちだけで遊ばせたり、留守番をさせることは禁じられています。

アメリカの知り合いで、発達障害のお子さんをもった人がいました。子どもが時々叫びながら、一人で通りに出て行ってしまうことがあったそうです。

「子どもが一人でほったらかしにされている」と通報した人がいたらしく、一度警察沙汰になったとか。

場合によっては、子どもを返してもらうのに三か月くらいかかることもあるらしく、そうなると、トラウマも心配されます。

フランスではかつて、幼い子どもを家に残して、夜パーティーなどに出かけるのは、普通だったとか。今は連れていくか、誰かを留守番に頼むか、どちらかです。連れてこないよう、言われることもあります。

ちなみに、留守の間に家で子どもを見てもらうとき、フランスでは「baby-sitterを頼む」と、英語の単語を使って言います。(子どもが小学生になって、babyでなくなってもそう言います。)ということは、この習慣は、英語を使う国からやってきたものなのか。

ベルギーでもフランスでも、小学校中学年くらいまで、子どもが一人で学校から帰ることはありません。必ず親や祖父母、子守の人が迎えに行きます。

子どもが2日以上学校を休む時や、プールに参加しない時は、医師の診断書が必要です。(診断書をもらうにはお金はかかりません。ただし、パリで医者にかかるのは、子どもでもけっこうな金額になります。)

子どもを親の虐待から守るためでしょう。

一方、ベルギーでは、メトロの中で子どもに乞食をさせているのを何度も見ました。あの子たちには、誰が救いの手を差し伸べるのでしょうか。

フランスでは、えん罪もありました。虐待ではなかったのに、子どもが親から引き離されたり、無実の罪で投獄されたり。

日本でも、親の虐待や子どもをめぐる犯罪、交通事故が増えています。行方がわからない子どもも、かなりいるようです。


2016年6月28日火曜日

都会の真ん中でちょっぴりの緑

昨日は東京はカンカン照りで。

僅かな日陰を探して歩いていました。

ビルの谷間でも、少しスペースがあれば、緑が生きられる。



最近、殺虫剤を使わない、使いすぎないという意識が高まっていて。

緑が少しあれば、そこに他の命もやってくる。



鳥も来る。

この季節にはよく葉が繁っていて、鳥たちは隠れるのが上手。声はすれども・・・



この木の中のどこかに、鳥たちがいる。

少し遠ざかったとき、元気なスズメがチョコンと木の下に。

スズメは私が大好きな鳥の一つです。

でも、温暖化のせいで、熱帯にしかいなかった虫が、温帯にまで現れているとか。その中には、私たち人間、哺乳類、鳥類、そしてもちろん、温帯の虫たちにとって、危険なやからもいるとか。

この緑の中にも?

事実は小説よりSF。



2016年6月27日月曜日

小さな畑の野菜たち

ふと見ると、緑色の鷹の爪が出来ていました。



ガーデニングフェアで苗を買って来てから、白い花は咲いたものの、ほんとに実が成るのか心配でした。

毎日水をやっているのに気づかなかったのは、緑色だから。

よく見ると、ほかにも小さな鷹の爪が。



トマトの方は、たった一つの実がずいぶん赤くなりました。



我が家の小さな庭は日当たりが良くないので、やっぱり窓辺で作ればよかったかな。

以前、ミニトマトを窓辺で作っていたときは、毎日太陽の日を浴びて、いっぱい実が成ったものです。あまり甘くはなかったけど。

肥料は卵の殻とコーヒーの、なんていうんでしょうか、カスというか、コーヒーがら。 卵は殻を砕いて、土に混ぜるようにしています。コーヒーの方は、乾かした後、根元に撒いています。

虫を遠ざけるというマリーゴールドも植えてみましたが、どうもうまく行きません。まさか、虫の呪いだとも思いませんが・・・

これから鷹の爪が赤くなるのが楽しみです。

2016年6月25日土曜日

ドゴール大統領の最後

写真:studio photos C sabinpaul. Thanks for + 2.184.280 via Visualhunt.com / CC BY


日本に住んでいて、テレビのシナリオを翻訳していたとき、驚いたことが一つあった。

イギリスの番組やフランスの番組を日本語に訳すことが多かったのだが、フランスのテレビ番組のクオリティーの低さに驚いたのである。

もちろん、ARTEは別である。ARTEとは、ドイツとフランスが共同出資したテレビ局。あまり採算を気にせずに、社会問題や芸術、文化関連の番組を作っている。設立は1992年。

私が翻訳していたのは、フランスのNHKに当たる局など、普通にみんなが見る番組である。

特に、同じテーマでドキュメンタリーを作った場合は違いが明白だった。イギリスBBCが作ったドキュメンタリーにはいつも感心させられた。

フランスのテレビ局が同じ場所に行って、撮ってきた映像を構成し、ナレーションを入れると、何も考えないで作っているという印象を受けることが多かった。

なぜ?なぜフランスは、栄光の映画史を持っているのに、テレビはこんなにひどいのか?

フランスで暮らすようになったとき、私は何人かの人に疑問をぶつけてみた。

「ドゴールのせいだ」と答える人たちがいた。

「ドゴールが放送に口を出して、人事にプレッシャーをかけたから、優秀な人たちがテレビから追い出されたのさ」

ドゴールといえば、フランス解放の英雄である。それだけではない。戦後、アルジェリアのフランス軍部が、植民地の独立を認めず、本国に反乱を起こしたとき、それを鎮めたのもドゴールだった。そのせいで、彼はもう少しで暗殺されるところだった。

しかし、ドゴールにはもう一つ二つ、別の顔がある。冷戦時代にフランスの社会主義者や共産主義者を弾圧したのがその一つ。

怪しいとされた人々の中には、今も行方がわからない人もいる。 程度の差こそあれ、正しいと信じる目的のために、自分が嫌っていたスターリンと同じ手段を取ってしまったのだ。



(写真:gildas_f via Visual hunt / CC BY


そんなことをする必要があったのだろうか。後に、フランスは社会主義政党が何度か政権を取ったし、今のオランド大統領も社会党だけど、フランスが社会主義国になったことはない。

ドゴールを批判する人たちは、彼を専制君主のように言う。

確かに、民主主義の柱の一つは言論の自由で、専制君主の特徴の一つは、言論の弾圧だ。そういう意味では、彼らの言う通りなのだろう。

ドゴールが国民投票で負けて辞任したのは1969年。私がテレビの翻訳の仕事をしていたのは1980年代から1990年代。フランステレビ界につけられた傷跡は、ずいぶん尾を引いたものである。

結局のところ、自由が保障されなければ、クオリティーも落ちるということなのだろう。今、フランスのテレビ局に言論統制があるとは思わないけれど、落ちたクオリティーは簡単には回復しなかった。

つい何年か前も、ドゴールとメディアというテーマで本が出ていた。それさえしなければ、彼の評判は、もう少し違ったものになっていたにちがいない。

2016年6月24日金曜日

山羊を飼っていた伯父が若かったころ


伯父は農業を営んでいたけれど、農家に生まれたわけではなかった。

戦争が始まったとき(というか、誰かが戦争を始めたとき。戦争は自然に「始まる」ものではない)、伯父は兵役適齢期だった。

伯父と繋がりが深かった伯父の祖父母は、農家だった。

当時、農家の長男だと、兵隊に取られにくいと言われていた。そこで、伯父は祖父母の養子になった。

救えるものは救おうということだったのだろう。

伯父には弟が二人いて、上の弟は、後に特攻隊に入った。

当時、本当に何が起こっているのか知っている者はごくわずかだった。

母は彼らより年下で、戦争が終わった後、大学に行った。

「伯父さんの方が成績が良かったの。本もいっぱい読んでいたし。本当は、伯父さんが大学に行くべきだった。」

母はよくそう言っていた。

伯父は病弱だったがよく働き、野良仕事は彼を丈夫にしたようだった。

農業だけではやっていけなかったので、ラジオの部品のようなものも作っていた。

よく冗談を言って、私たちは笑い転げたものだった。

もし、まだ伯父に何かを思うことができるなら、どんな思いがよぎっているだろう。何を、思い出しているだろう。



2016年6月22日水曜日

山羊を飼っていた伯父が入院 2


飼われていた山羊の目は、悲しそうに、私には見えた。

仔山羊が一緒にいたこともあった。


仔山羊の目は、悲しそうには見えなかった。

田舎のこととて、公共の交通機関が不便だったため、伯父は車を使っていた。

伯父が前の車を追い越すことはほとんどなかった。

「あせって追い越したところで、目的地に着けば、大して変わらないものだ。」

伯父が追い越したのを一度だけ見たことがある。
前を走っていたトラックの積み荷が緩く、危険を感じた時だった。

伯父の家は、私にとって、避難所みたいなものだった。

両親とケンカした時、突然訪ねたこともある。

伯父は、「来たか」とだけ言った。

伯母も、何も言わずに夕飯を振る舞ってくれた。

私も、何も説明しなかった。説明しなければならないという気もしなかった。

夏になると、トウモロコシが育った。夏休みには、私の背丈より高くなっていて、畑の道に座っていると、空と地面しか見えなかった。

虫たちがしきりに活動していた。

そこは世界一安全な場所だった。

そこは伯父の畑だったから、誰かに咎められる心配もなかった。

私の子ども時代の風景の一つが、失われようとしている。



2016年6月21日火曜日

山羊を飼っていた伯父が入院



伯父が危篤だと聞いた。

ショックはなかった。伯父は確か90近いし、母の兄弟の中で一番年上だ。来るべきものが来てしまった。

伯父は農業を営んでいて、私が小さいときは山羊も飼っていた。山羊はお金のために飼っていたのではない。伯父の家では、毎朝搾りたての山羊の乳を飲んでいた。

都会に住んでいた私にとって、伯父の家に遊びに行くことは、最高に楽しいことだった。家や庭、畑の中を自由に歩き回り、草を引っこ抜いて山羊にあげてみたりもした。

(冒頭の写真はその時のものではありません・・・写真がなかったので、無料サイトからダウンロードさせていただきました)

伯父の子どもたちは私よりずっと年上で、一緒に遊ぶことはあまりなかったけれど、とても優しかった。

私と年が近い他のいとこたちは、やはり大きな町に住んでいたので、伯父の家で過ごすのは、ちょっとした冒険だった。みんなは山羊の乳が苦手だと言っていた。私は大好きだったけど、なんとなく言えなかった。

ずっと後になってフランスで暮らしていた時、私は思う存分山羊のチーズを食べることになる。フランスでは山羊の乳も手に入りやすい。大きなスーパーでも売っている。でも、もちろん、伯父の家で飲んだ搾りたての乳には遠く及ばない。

山羊の乳の方が牛乳より体にいいという話も聞いたが、本当だろうか。

山羊には、他にもいいことがあった。伯父の家では、野菜の皮やトウモロコシの芯を山羊にあげていた。山羊がトウモロコシの芯をバリバリかみ砕くのを、私は感心して眺めていた。

だから、当然、ゴミの量は、都会の私の家よりずっと少なかった。

当時、すでにごみ問題が深刻化していた。私は家に帰ると、母に山羊を飼ってはどうかと言った。私はすばらしいアイディアだと思ったが、母はそうは思わなかったらしい。



2016年6月20日月曜日

銃とアメリカ:友人のメールから



つい先日。サンフランシスコに住んでいるアメリカ人の友人からのメール。

9.11直後のある夜の出来事について。最近の銃犯罪で、当時のことを思い出したらしい。

9月16日。近所に住んでいる男の一人が銃を持って屋根に上り、近隣の窓に向かってめちゃくちゃに発砲し始めたという。

警察が来て、メガフォンで叫んだ。
「建物や家の一番下に行ってください。床に伏せてください。窓から外を見ようとしないでください。できればトイレに閉じこもってください。一人の狂った男が、憎しみをこめて、銃を発砲しています。」

憎しみに囚われた人は、銃を持てない方がいい。

憎しみはどこにでも転がっているから、銃は手に入らない方がいい。

友人は正気だが、銃もピストルも持っていない。

ちなみに、彼はテレビも持ってないし、ハンバーガーも食べないし、とっても料理がうまい。

彼もアメリカで生まれ育ったアメリカ人だ。

2016年6月19日日曜日

アイデンティティーって何なのか


ニューヨークタイムズ紙の記事によると、北アイルランドとスコットランドではEU残留に賛成している人が多く、イングランドに反EU派が多いそうだ。もちろん、ロンドンは例外である。



イングランドのEU離脱派は、自らのアイデンティティーを、ヨーロッパ人でもなければイギリス人でもなく、イングランド人だとする人が多いという。






英国は、かつて複数の王国に分かれていた。そのことを私たちは、スコットランドの独立問題であらためて思い出したものだ。



そもそもイギリスの国旗は、イングランド、スコットランド、そして当時のアイルランドの国旗を合わせたものだ。ウェールズはといえば、イングランドと合併した時期が早かったので、イングランドの国旗に吸収されたという。



写真の右、赤い十字がイングランドの旗、左の青いバッテンがスコットランド、これに赤いバッテンのアイルランンドが加わって、私たちがよく知っているイギリス国旗となったそうだ。



イングランドの反EU派は、古き良き時代にノスタルジックな思いを抱いているという。ヨーロッパの他の国々から流入してくる人々によって、自分たちの島から何かとても大切なものが失われてしまう、と。



議論は事実よりもむしろ感情に基づいている、とRobert Tombs教授は言う。EUのことを語らず、自分たちのことや、イングランドのことを語っている、と。



過去は美しくなるものである。



日本もかつては多くの国々に分かれていた。日本の中の別の国へ行くには、「脱藩」しなければならなかった。



アイデンティティーは、時代と共に変わる。



今では誰も、自分は長州人だとか、会津人だとは言わない。私たちは、自分たちのことを日本人だと思っている。



しかし、おそらくはそれさえも小っぽけなものなのだ。



宇宙人から見れば。







アイデンティティーって何なのか


ニューヨークタイムズ紙の記事によると、北アイルランドとスコットランドではEU残留に賛成している人が多く、イングランドに反EU派が多いそうだ。もちろん、ロンドンは例外である。



イングランドのEU離脱派は、自らのアイデンティティーを、ヨーロッパ人でもなければイギリス人でもなく、イングランド人だとする人が多いという。






英国は、かつて複数の王国に分かれていた。そのことを私たちは、スコットランドの独立問題であらためて思い出したものだ。



そもそもイギリスの国旗は、イングランド、スコットランド、そして当時のアイルランドの国旗を合わせたものだ。ウェールズはといえば、イングランドと合併した時期が早かったので、イングランドの国旗に吸収されたという。



写真の右、赤い十字がイングランドの旗、左の青いバッテンがスコットランド、これに赤いバッテンのアイルランンドが加わって、私たちがよく知っているイギリス国旗となったそうだ。



イングランドの反EU派は、古き良き時代にノスタルジックな思いを抱いているという。ヨーロッパの他の国々から流入してくる人々によって、自分たちの島から何かとても大切なものが失われてしまう、と。



議論は事実よりもむしろ感情に基づいている、とRobert Tombs教授は言う。EUのことを語らず、自分たちのことや、イングランドのことを語っている、と。



過去は美しくなるものである。



日本もかつては多くの国々に分かれていた。日本の中の別の国へ行くには、「脱藩」しなければならなかった。



アイデンティティーは、時代と共に変わる。



今では誰も、自分は長州人だとか、会津人だとは言わない。私たちは、自分たちのことを日本人だと思っている。



しかし、おそらくはそれさえも小っぽけなものなのだ。



宇宙人から見れば。







2016年6月17日金曜日

ジョー・コックス議員暗殺犯人のアイデンティティー




“Britain first !”



そう男は叫んだと、目撃者の一人は証言しているそうだ。



この証言はまだ確かめられていないが、犯人がコックス議員を憎悪していたことは確かだろう。BBCのサイトによれば、犯人は彼女を2度も撃ち、その後刃物で刺し、横たわっていた彼女の体を蹴ったという。



ジョー・コックス議員はEU残留を訴えていた。



犯人の兄弟は、彼は政治的な関心が薄かったと言っている。Southern Poverty Law Centerのサイトによると、彼は何十年も前からアメリカのネオナチ集団を支持していたそうだ。



近所の人たちは、彼は独りぼっちだったと語る。「イギリス人」というアイデンティティーにしがみつく以外、自分を支える術がなかったのであろうか。憎悪に、しがみついていたのだろうか。



英国では、他の地方より、イングランドに離脱派が多いそうだ。彼らの議論は、事実よりもむしろ感情に基づいている、とセント・ジョンズ・カレッジのRobert Tombs教授は言う。EUのことを語らず、自分たちのことや、イングランドのことを語っている、と。



ジョー・コックス議員を悼み、英国は党派を超えて喪に服している。

教会には、異なる宗教の人々が集まって一緒に祈っているという。

“Britain First! ” と男は叫び、悲しみは世界に広がっている。

2016年6月16日木曜日

サザエさんとスイーツとコーヒーが好きな人のためのカフェ

リアン・ドゥ・サザエさん in Sakurashinmachi



長谷川町子美術館の近く、サザエさん通りにある「リアン・ド・サザエさん」。 素敵なアイディアにあふれたおしゃれなカフェです。



つい入ってみたくなりますよね。 カフェラテやソフトクリームの他、目玉は何といってもこれ。


ミニパンケーキというか、洋風今川焼というか。中身は、キャラクターによって違っていて、ジャムやカスタードクリーム、チョコが選べます。 私が選んだのはジャム。この日のジャムは、りんごとジンジャーが大人の風味を出していて、大満足。


ホッとするひと時でした。 こんな型で焼いてるのが見えます。



注文はセルフサービスで、お持ち帰りも。 月曜日はお休みのようです。長谷川町子美術館の定休日と合わせているのかな。 東急田園都市線桜新町駅下車の他、バスもあります。

2016年6月15日水曜日



この週末に「世田谷区夏季農産物品評会」を見に、けやき広場へ出かけてみました。が、着いたのが4時頃と遅く、すでに店じまいしていたところが殆ど。

 お花や野菜の苗はまだ売っていたので、虫よけになるというマリーゴールドを見ていました。100円と書いてあったので、一つ100円のつもりで選んでいたら、

「3つ100円でいいよ」

 閉店前のラッキーです。



そのほか、小さな小さなお花を買いました。・・・名前を忘れてしまいました。

けやき広場のイベントの前後には、もちろん、馬事公苑に寄るのもいいですね。お弁当を持っていけば、一日楽しめます。焼きおにぎりなども、中で売っています。



 お馬の公園なので、ボール、自転車、縄を使った遊びは禁止です。(自転車置き場が入口にあります。)馬を驚かせてはいけませんから。でも、ブランコや滑り台はありますよ。

 大きいお子さんは、動物や植物を観察できるでしょう。池には白鳥もいます。

 雨なら、けやき広場に面した「食と農の博物館」がお勧め。ワオキツネザルや陸ガメ、イグアナもいます。入場は無料です。

2016年6月12日日曜日

「世界の○○」の世界ってどこ?

 最近、「世界の○○」という言い方を、何度かニュースなどで耳にしました。

 この「世界」って、どこのことなんでしょうか。

 「日本と海外」という言い方をよくしますが、そんなものは存在しません。一つ一つの文化圏は、みな違うものです。

 同じヨーロッパでも、フィンランドとイタリアでは大違いですし、隣国同士のフランスとドイツ、イギリスだってずいぶん違うものです。プロテスタントの国とカトリックの国という違いもあります。

 日本は、古くから海外の情報を取り入れるのに熱心でした。世界は遠いところにあり、世界の進歩から遅れを取ってはいけないという意識がありました。文字を輸入し、高僧を招きました。遣唐使や遣隋使は、命の危険を冒してまで、海を渡って知識を仕入れに行きました。

 どこの国もこんな風に国外の情報に敏感なわけではありません。国外の習慣や文化に殆ど関心を持たない人々もいます。

 私はヨーロッパに15年以上住みましたが、世界的に有名な芸術家について、「世界の○○」という言い方は、一度も聞いたことがありませんでした。

 例えば、フランス人歌手が珍しくアメリカのビルボードに載ったりすると、「彼はアメリカのビルボードに載った!」と言います。

 アメリカは世界ではありません。

 私たちはみんな、世界の一部を成しているのではないでしょうか。

2016年6月11日土曜日

舛添さんが清貧になれなかったわけ

 たとえば、少年時代、おもちゃを買うお金がなくて、持っていたナイフで何でも作っていたというエピソード。
 
 たとえば、友達が肥溜めにお札を落としたとき、拾って川で洗ってあげたというエピソード。
 
 一歩間違えたら(?)、舛添さんは清貧になれるところだった。
 
 たとえば、結婚していない女性との間に子どもがいるという事実。
 もし、彼がその子のために心を砕いていたのだったら、「人間的」というエピソードになったかもしれなかった。
 
 もしも、普段はケチな彼が、世話になった人をご馳走するために、自費で高級レストランに誘ったというのだったら。
 
 もしも、彼が自分のお金で高価な美術品を買いあさり、家族に怒られていたのだったら。
 
 もしも、鬼怒川が決壊したとき、彼が湯河原のお風呂に入るのを諦めていたら。
 
 もしも、彼が保育園を視察して、職員と自分の給料を比べていたら。
 
 ネット上では、なぜか彼の出自が朝鮮半島にあるという噂が流れているようです。
 もしそれが本当だったとして、彼がヘイトスピーチを放置していたのだとしたら、生活保護を受けていた自分のお姉さんを見捨てたのと同じ、歪んだ精神状態でしょう。
 

 もしも、都民が選挙のとき、彼に騙されてなかったら。

2016年6月10日金曜日

今年の世田谷区夏季農産物品評会は、6月11日(土)と12日(日)だ!

けやき広場では、また何やら始まるようです。



何それ。おいしいの?

早速調べてみると、そう、おいしそうですよ。

世田谷区内の農家が新鮮な夏野菜(なす、トマト、きゅうり)や果樹を展示、即売するそうです。地産地消のプロモーションですね。

 その他、食育ゲームなど、子どもも楽しめるイベントもあるとか。

場所は馬事公苑前。
6月11(土)と12(日)の9:30-16:30
けやき広場には、専用の駐輪場はないので、バスがお勧めです。
バス停「農大前」下車。(渋23、24、26、園02、等11、用01系統)

ファミリーで楽しめるイベントに、駐輪場がないというのは辛いもので、毎回「駐輪禁止」の立て札もむなしく、自転車が並ぶことになります。駐輪場を作った方がいいんじゃないかな。

 とはいえ、皆さん、公共の交通機関がお勧めですよ。

2016年6月9日木曜日

馬事公苑前のけやき広場、ガーデニングフェアで見つけた野菜たち

子どもも大満足!なイベント



 5月21日から29日まで開かれたガーデニングフェア。

 庭やベランダ、窓辺の緑に必要なもの色々。花、観葉植物、ハーブ、野菜の苗はもちろん、和風・洋風庭園の見本(見本の中のベンチに座ってたこ焼きを食べることもできる!)、庭作り体験講習会、みどりのクラフト体験、等々盛りだくさんでした。

 息子は、シュロの葉っぱ一枚からバッタを作る方法を教えてもらって大喜び。  

 ガーデニングとは全然関係ないものも、いっぱいありました。餅つき、バーベキュー、かき氷、焼きそば、各地のお菓子・・・

 100円寄付しておいしいコーヒーをいただきました。



 子どもの好きなミニトマトと鷹の爪の苗、その他、日陰でもよく育つとアドバイスしていただいた植物を持ち帰りました。

 けやき広場や馬事公苑では、三世代で楽しめるイベントがよく開かれます。そのたびに世田谷通りは大混雑となるので、公共の交通機関を利用するのがお勧め。バス停農大前で降りれば目の前です。バスは、渋谷や三軒茶屋から成城、祖師谷行きなどが出ています。

 昨日、鷹の爪が小さな花を付けているのを発見。実がなったら、辛いものが好きな友達にもあげるんだと、子どもは楽しみにしています。


いつもながら、ミニトマトの成長は早い。



無事収穫できますように。