2016年10月22日土曜日

ボブ・ディラン、もらっときゃいいのに

ディランはそのキャリアの間に、何度もブーイングされました。

 ノーベル文学賞の受賞が決まった時も、例外ではありませんでした。 

 作家の中には、シンガーソングライターが受賞するなんて我々に対する侮辱だ、とまで言った人もいるらしいですね。 

 紙に書かれていない詩は、詩ではないとでもいうのでしょうか。

 ノーベル賞の選考委員までが一部ブーイングを始めました。

ディランが呼びかけに答えないというので。 

 ディランが無礼で傲慢?

 「せっかくノーベル賞をやるって言ってるのに有難がらないとは許せない!」 なんて反応をするのだったら、ノーベル賞こそずいぶんと傲慢になったものです。

サルトルが授賞を拒否したのは傲慢ではないけれど、ディランが応えないなら傲慢になるわけ? 

 どっちにしても、ディランはブーイングされないわけにはいかないでしょう。 

 受け取っても、受け取らなくても。 

それだったら、もらっときゃいいのに。

今回ディランが受け取らなかったら、ノーベル賞は、再び文学の定義を狭めてしまう可能性もあります。いわゆる「文学者」意外を選ぶのは、危険だということになって。 

 だって、毎回拒否されるわけにはいきませんから。 

 だから、もらっときゃいいのに。 

 ただ、「無礼で傲慢」ではない選考委員が言っているように、このようなディランの反応は全く彼らしいものであり、予期できるものでもありました。 

 だから、無理はしないで、好きにすればいいさ。

2016年10月15日土曜日

ボブ・ディラン ノーベル賞受賞で「おめでとう」は誰に 2




ロックの詩学というものがあると思います。

(もちろん、ディランはロックというジャンルでくくってしまえるアーティストではないし、そもそもフォークから始めたわけですが。)

デイランの歌詞でも、ビートルズの歌詞でも、改めて読んでみると、「これは20世紀最上の詩の一つだ!」と感嘆することがあります。

あるいは、一見単純に見える言葉が、音楽やリズム、声に乗ることで、詩となることもあります。

ただ、良い歌詞を書けば、才能があれば、誰でも受賞できるというわけでもないでしょう。

ディランの詩が一貫して、どのように社会と関わり続けたか。そのキャリア全体に対する、惜しみない賞賛と感謝の印、それが今回のノーベル文学賞だと思います。

だからやっぱり、ファンの一人として、「おめでとう」と、ディランにも言いたいのです。

2016年10月14日金曜日

ボブ・ディラン ノーベル賞受賞で「おめでとう」は誰に 1



ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞、おめでとうございます。
と私が言いたいのは、選考委員の方々に対して。

ノーベル賞が、生き生きとした価値あるものとして、今後も信頼を保つために、遅すぎない決定でした。

ボブ・ディランのファンの中には、反体制の巨星が、受賞によって、体制の中に片付けられてしまうのではないかと心配する人も多いかもしれません。

でも、今アメリカで起こっていること、世界で起こっていることを考えた時、ディランが受賞する意味は大きいでしょう。
ニュースでは、ミュージシャンとかシンガーソングライターとばかり報じられています。

もちろんそれは事実です。

でも、それだけじゃない。彼が創る歌詞の文学的価値に感銘を受けた人も多く、本として出版された歌詞を「読んで」いる人は昔からいました。

2004年に発表された自伝も評価が高く、本国アメリカだけでなく、当時私が住んでいたヨーロッパでも評判になっていました。

自伝によって、人々は彼の文学的才能を再確認していたという感じ。

それでも、フランスのメディアを見ると、「意外な文学賞」という言葉も並び、少しじれったい思いがします。

そもそも、最初の詩というものが、書かれたものでなく、語られたもの、歌われたものであるなら、デイランこそ正統派詩人ということもできるかもしれません。

2016年10月4日火曜日

ノーベル賞と教育の効果



大隅良典教授の医学・生理学ノーベル賞受賞、おめでとうございます。
医学・生理学の部門では、日本人の受賞が3年連続となりました。

ノーベル賞もオリンピック同様、本来は国ごとのメダルの数を競い合うためにあるわけではないでしょう。

ただ、どの分野でどの国の人がどの時期に多く受賞しているかを見て、その理由を考えてみることはできるでしょう。

私は子どもと一緒に三ヶ国の小学校を体験しました。フランス、ベルギー、日本です。

日本では、「海外」と日本を

比べることが多いですね。でも、「海外」と言っても、世界には数えきれないくらい多くの文化圏があって、それぞれに違いがあります。

ヨーロッパの中で比べても、かなり違うのです。

ベルギー、フランスという隣り合った国、同じフランス語を使う国同士でも、やっぱり様々な違いがあります。

例えば、フランスの小学校1年は、読み書きが中心でした。ちなみに、子どもが通っていたのは、伝統的なカトリック系私立でした。フランスでも、モンテッソーリやシュタイナーなど、オルタナティブな教育を行っている学校もあります。

子どもの学校では、来る日も来る日も読み書きをやっていて、持ち帰る宿題も読み書きばかりでした。

読み書きと言っても、正しく書き、読むことを覚えるのが勉強で、作文などは一切ありませんでした。

ベルギーでは、算数にも力を入れていました。読み書きの進度は、2年生の時点でフランスより遅れていましたが、3年生にもなると変わりはなくなります。

ただ、どちらの国でも、子どもの好奇心を刺激するとか、それに寄り添うということはあまりありませんでした。

我が家の子どもは、小学校1年生の半分くらいを日本で過ごしました。チューリップを育てて観察したことが、強く印象に残っているようです。

鉄は熱いうちに打てといいます。幼い頃は誰でも好奇心があるもので、低学年のうちに実物を観察したり、触ってみたり、試してみることが大切なのでは。

我が家の子どもがベルギーで2年生だった時の話です。先生が、オタマジャクシはカエルの子であるとみんなに説明しました。カエルになると、シッポはなくなります、と。

一人の子が「シッポはどこに行くんですか」と質問しました。

先生は知らなかったそうです。

その先生は別の意味ではいい先生でした。知らないことを知らないと正直に言ってくれてよかったとも思います。

でも、先生はオタマジャクシがカエルになるのを見たことがないのですね。

抽象的な知識だけを知っていて、それを生徒に伝え、子どもたちもまた、知識だけを受け取っているのです。

ちょっと自慢させてもらうと、我が家の子どもはオタマジャクシのシッポがどうなるか、学校に上がる前から知っていました。

オタマジャクシを捕まえて、飼ったことがあるからです。シッポがなくなり、手足が生えたカエルを、見つけた川に放しに行ったことがあったからです‥

同じヨーロッパでも、ドイツやイギリス、北欧では、また事情が違うでしょう。アメリカやカナダはまた別でしょう。

日本は、明治にも戦後にも、西洋をモデルとして取り入れ、アレンジしてきました。教育に関しても、最初はどこかの国がモデルになっていたのでしょう。

そのモデルと、それから、昔からの身近な自然との付き合い方は、けっこうマッチしていたのかもしれません。例えば、子どもが虫を持ち帰ったとき、「キャー、気持ち悪い!汚い!」とは言わないで、空き瓶を探してきて穴を開けてやるような態度。

そんな些細なことからも、科学的好奇心は育まれていくのでは。