2013年12月10日火曜日

キートンの『カメラマン』

久々でキートンの長編を見ました。DVDですが。

子どもの頃に、キートンもチャップリンも、長編はほとんど見ているので、『カメラマン』も、見たことがあるはずです。それでもやはり、久々に見ると、とても新鮮な体験でした。

彼の顔と、無表情の表情は、いつでも覚えていたけれど、彼の繊細さに、私は気づいていませんでした。

この作品は1928年公開、キートンがMGMと契約した年です。

好きな女の子にどんなに恋焦がれているか、おセンチなことは何一つ言わず、眉毛一つ動かさずに、見る者に納得させてしまう。

例えば、彼女から電話がかかってくるシーン。

彼は朝から身支度をして部屋で電話を待っています。当時のこととて、アパートの彼の部屋に電話があるわけではありません。電話が鳴る度に、アパートの上にある自分の部屋から、一階にある電話のところまで駆け下りるわけです。その時カメラは、三階、二階、一階‥と続く階段を断面図のように捉え、観客はそこを次々に駆け下りて行くキートンを見ることになります。階段の長さと、キートンの走り方、転び方、自分への電話ではないと知って、またトボトボと階段を上がる姿によって、恋する心が見える。

やっとお目当ての女性から電話がかかってきて、「一緒に散歩しましょう」と言われるなり、キートンはアパートを飛び出します。彼女はまだ話している途中なのに。

電話口で話している彼女と、街の中を走って行く彼の姿が交互に映される。彼女がようやく返事の無いことに気づき、「もしもし、もしもし?」と言っているところにキートンがたどり着く。相変わらず眉毛一つ動かさずに。

走るキートン。素敵な映像です。オリンピック選手よりも早く見えてしまう。疾走という言葉がふさわしい。

説明の無さ。ポン、ポンとシーンを置いて行くことによって生まれるリリシズム。

私は、チャップリンもキートンも好きですが、異なる二人の喜劇王をたとえて言えば、チャップリンが小説家であるなら、キートンは詩人なのかもしれません。

ラストシーン。再び路上の写真屋に戻っていたキートンを、彼女が探しに来る。「あなたのために、みんながパーティーをするのよ。」偶然にも、街はパレードでお祭り騒ぎ。どうやら、それはリンドバーグがニューヨーク-パリ無着陸横断に成功した後のパレードだそうですが、キートンは自分のためのお祭りだと思ってしまったらしい。おぼつかなげに紙吹雪を見ながら、人ごみの中を彼女に引っ張られていく。そのズレ。現実からこぼれ落ちたかのような表情。というか無表情。

キートンの他の作品も、また見たいな、と思わせる一本でした。


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