2016年7月30日土曜日

外国人嫌いと同国人嫌い  5



東京に住んでいたあるフランス人。

日本ではフランス語の先生をしていました。

フランス政府に派遣された優秀な人です。

仮にポールと言っておきましょう。

同じ学校に、やはり政府から派遣された、アフリカ出身の先生がいました。

ポールは、彼のことを「この学校で一番優秀な人だ」と言って、限りなく誉めたたえるのでした。

ある時、そのポールが、イギリス人の知人と話し合った後のことです。

忌々しそうに、「あのアングロサクソンめ!」と言うではありませんか。

近所同士は仲が悪いと言います。

その一例だったんでしょうね。

同じ頃、東京に住んでいた欧米人が、
「日本人にスシをおごられるのは、もう飽き飽き。」
と言うのを聞きました。

「親切にしてもらうのは嬉しいけど。」

一方で、アジアの他の国からの留学生は、そんな親切な日本人になかなか出会えないようです。

なぜそうなるのか。

別にスシおごれとは言いませんけど。


2016年7月29日金曜日

外国嫌いと同国人嫌い 4

Photo credit: Falcon_33 via Visualhunt / CC BY-SA


ある時わたしは、セネガルの人とイタリアの町、ベローナを歩いていました。

彼とは仕事で一緒になり、仕事が終わった後のひと時、ぶらぶらしていたのでした。

突然、彼は壁に寄り掛かった一人のアフリカ人らしき人に近づき、熱心に握手をしました。

戻ってきた彼に、私は聞きました。

「お知り合いですか。」

「そうじゃないけど、彼もセネガル人なんです。」

「アフリカでも、セネガル出身だと見ただけでわかるんですか。」

「わかります。」

彼は、レオポール・セダール・サンゴールの、確か孫にあたる人でした。

サンゴールは、セネガルの初代大統領にして詩人。1983年には、アフリカ出身者として初の、フランス・アカデミー会員に選ばれています。

おじいさんから聞いた言葉として、彼はこんなことをみんなに話してくれました。

「世の中には、人と人の間に橋を作る人もいれば、人と人の間に壁を作る人もいる。」

写真は、パリのセーヌ川にかかるレオポール・セダール・サンゴール橋。

この橋がかかるパリで、私は、日本人びいきのタクシー運転手に遭ったこともあります。

その人もアフリカ出身者でした。

彼が言うには、日本人のお客さんが好きな理由の一つは、日本人が値切らないこと。

もう一つは、まだ駆け出しだったとき、とても寛容な日本人のお客さんに遭ったことだそうです。

その頃は、ナビなんてなくて、彼は目的地に着くまでさんざん迷ってしまいました。

でも、その日本人カップルは、少しも怒ることなく、楽しそうに笑っていたそうです。

すっかり遠回りして、ようやく目的地に着くと、その日本人たちは何も文句を言わず、遠回りした料金も払ってくれた。男性の方は彼の肩を叩き、女性は面白そうに笑っていた・・・

その話、十分に信じられます。

ただ、その同じ日本人が、新宿区で急いでいる時、日本人のタクシー運転手に同じ態度を取るかな、と、私は思わずにいられませんでした。

2016年7月28日木曜日

外国人嫌いと同国人嫌い 3




外国で同国人に会いたくない人々のことを、前々回の記事で書きました。

ただ、新しい国に早く順応するために、できるだけその国の人とつきあおうとする、という場合はあるかもしれませんね。

外国に行っても、その国の人と全然つきあわず、日本人とばかり一緒にいる人もいますが、もったいない話です。

逆もあり、日本に来てもフランス人としかつきあわないフランス人もいます。

言葉の壁はもちろんあるけれど、それより問題は、心の壁では。

どんな理由にせよ、ある国で数カ月、数年過ごすなら、ブランド品以外にもお土産を持って帰りたいもの。

友情は一生の宝だと思いませんか。

さて、前々回のブログでは、外国人嫌いも同国人嫌いも根は同じらしいと書きました。

客観的な批判精神を完全に失っているという点で、異なるものをわけもなく貶めるのも、逆に、わけもなく褒めたたえるのも、同じような心の動きなのでしょう。

東日本大震災が起きたとき、天罰だと言った政治家がいました。
「アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と平等と博愛。日本はそんなものはない。」

そのフランスに住んでいた私が、どんなに驚愕したかはご想像にお任せします。

彼は、フランスの何を知っているのでしょうか。
アメリカの、何を知っているのでしょうか。

どこの国にも、心の底で選挙民をバカにしている政治家はいるものです。

ただ、それを公言した後で当選するのは珍しいでしょうね。

その人が都知事に当選したとき、自由・平等・博愛の国で、フランス人たちがどんなに驚愕したか、ご想像にお任せします。

2016年7月27日水曜日

障がい者施設で19人殺傷 - なぜ


「障がい者は不幸を作ることしかできません」

こう犯人は手紙の中で決めつけていた。

犯人は精神的に危うい人間だったことが報じられているが、一方で、犯行は極めて計画的である。

なぜ犯人はこのような考えに取りつかれたのだろう。

彼が一人で考え出したことなのだろうか。

おそらく理由は一つではないだろう。

ただ、この事件が報じられたとき、すぐにあることを思った。

「障がい者はずるい」という意味のことを、ツイッターなどに書き込む人たちが、少なからずいたということだ。

もちろん、そのように愚痴ることと、人を殺すこととの間には、大きな隔たりがある。

しかし、精神的に危うい人間であった犯人は、このような風潮に影響されたのかもしれない。

だとすれば、犯人だけが残虐なのか、と問いたくなる。

事件の直後に、アメリカやドイツ、ロシアの首相や大統領からメッセージが寄せられた。

だが、今朝になっても、日本の首相が現場にすっとんでいった、という情報はなかった。

「このような差別を断じて許しません。」

と、日本政府の中枢が力強く語る姿はなかった。

このような時にこそ、世間の風潮を、変えるなり、作るなり、できるはずなのに。

海外からの反応を見て、今考えているところなのだろうか。

2016年7月26日火曜日

外国人嫌いと同国人嫌い 2


フランスに住んでいたとき、あまりデパートに出かける機会はありませんでしたが、たまには私もデパートに用事がありました。

そんな珍しいある日、ギャラリー・ラファイエットというパリの有名デパートでの出来事。

グルメ・コーナーの小さなイートインで一休みしようと、トレイを持って歩いていた私は、日本人らしき女性に気づきました。

その人はとてもご機嫌のようで、満面に笑みをたたえて、あちこち見まわしていました。

ヨーロッパやアメリカでは、知らない人同士で笑みを交わすのはよくあることです。私はその人に微笑みかけました。

ところが、私に気づいた途端、その人の表情は硬くなり、嫌な表情に変わったかと思うと、あからさまにそっぽを向きました。

私はちょっとショックでしたが、彼女はフランスに住んでいないか、または、フランスに来て間もないのだろう、と思いました。

外国や外国人が大好きな人の中には、外国で同国人に会いたくない人もいます。

実は、この現象は日本人に限ったものではありません。

知人のフランス人で、大学のとき日本に留学した人がいます。

フランスに住む彼のお母さんの話では、日本に来た当初、彼はフランス人と会いたがらなかったそうです。

私も当時の彼を覚えていますが、本当に日本に恋してるという感じでした。日本を離れなければならなかったときは、悲しくて泣いたと話していました。

その後、彼は日本人と結婚し、もう20年以上日本で仕事をしています。

今では、日本の悪いところも、ちゃんと見えるようです。

別のフランス人の話では、東京で西洋人を見かけ、ごく普通に微笑みかけたら、やはりそっぽを向かれたということでした。

心理学では、この「同国人嫌い」と「外国人嫌い」は、実は同じものだという説もあるそうです。

ギャラリー・ラファイエットで私が出会った女性は、私が食べ終えてそそくさと席を立つまで、ずーっとそっぽを向いたままでした。

2016年7月23日土曜日

とんぼの羽化に立ち会った日

今週関東地方は雨が多かったですね。

その前は連日30度を超える暑さ。

そして、更にその前のある朝、公園での出来事。

蓮の花の鉢を通りかかると・・・

「あれ、何?死んでるの?

とんぼのお母さんが卵を産もうとしているの?」


殆ど透明なトンボ。

産卵であれば、水の中に卵を産んだあと、溺れないように急いで飛び立つはず。

このトンボはじっと動きません。

そして、よく見ると、隣に抜け殻が・・・

「このとんぼ、ヤゴから大人になったところなんじゃないかな。
今羽根を伸ばしてるんじゃない?
きっともうすぐ飛び立つよ。」

飛び立つまで見ていよう!

しばらく待っていると、庭師さんが来ました。

「へえ、トンボがいるの。」

と言って、庭師さんは水道の蛇口をひねりました・・・

その時は思いつかなかったのですが、トンボがいる鉢の水位がだんだん上がり始めました。

「このまま行くと、トンボが水に濡れちゃう。」
「その前に飛び立つよ、きっと。」

ところが、ついに水がトンボの尻尾に到達。


私は、どうしようか迷いましたが、子どもはそっとトンボを手に取り、乾いたところに移しました。


しばらくすると、トンボはようやく初飛行をしましたが、すぐに地面にクラッシュ。

ちょっとの間じっとしていましたが、再び飛び上がり、今度はきれいに弧を描きました。

そして、藪の中へ。

子どもにとっては、忘れられない日になりました。

すでに日は高く、暑くなっていました。



2016年7月19日火曜日

ルイジアナ州で殺された警察官より、平和へのメッセージ



アメリカ、ルイジアナ州の町、バトン・ルージュで7月17日に殺された黒人警察官、Montrell Jackson さん。

それに先立つ5日には、黒人の男性が白人警官に取り押さえられ、銃で撃たれる事件がありました。
Montrell Jackson さんは、亡くなる10日ほど前にフェースブックにメッセージを残していました。 アメリカのメディアの他、英国BBCでも取り上げられています。

翻訳します:

「肉体的にも精神的にも疲れている。
親戚や友人、警官の中にも、考え無しなことを言う人たちがいて、がっかりしている。
でも、人が心の中で思うことは、その人の心の中のこと。私は今でもみんなを愛している。
憎しみはあまりにもエネルギーを奪うものだからね。
でも、もう前と同じように君たちを見ることはできない。
私や妻に助けの手を差し伸べてくれた人たち、ありがとう。
私たちには必要だったし、本当に感謝しています。
神に誓って言うけど、私はこの町を愛しています。
でも、この町の方ではどうかな。制服を着ている時には憎しみの目で見られるし、制服を着ていないときは、 私を危険だと感じる人もいる。
この短い人生の中であまりにも多くのことを経験してきたし、ここ3日間は本当に試練だった。
知っている人たちに、お前は本当に誠実かと聞かれ始めたら、その人たちは結局自分のことを全然知らなかったんだと思う。
私がしていることを見てくれ、疑いようもなく、はっきりと、わかるはずだ。
最後に、今回の悲劇に直接影響を受けたすべての人に、個人的に祈りを送りたい。
試練のときです。憎しみに心を蝕まれないようにしてください。
この町は、もっとよくならなければならないし、よくなるでしょう。
私はこの町で働いていますから、抗議したい人、警察官、友人たち、親戚、他の誰でも、私を見たら、そして、触れ合いが必要なら、それとも祈りたかったら、私はいます。
あなたを受け止めます。」

キング牧師を思い出しませんか。

無抵抗な人間を銃殺する警官もいれば、心にたくさんの愛をもって立っていた警官もいる - おそらく、それがアメリカなのかもしれません。


BBCの記事はこちら

(写真はルイジアナ州庁舎)
 

2016年7月15日金曜日

ニースのテロ:フランスの新聞ルパリジャン、ルフィガロより

7月14日革命記念日は、フランス共和国にとって象徴的な日。

毎年各地で花火大会が開かれ、子ども連れで見に行く人も大勢います。

ISは今のところ声明を出していませんが、フランスの新聞ルパリジャンには、こんな記事が出ていました。2014年9月にすでに、ISの主要人物の一人が、車で突っ込むことを含め、あらゆる方法を使って殺せという音声メッセージを出していたと。

新聞に載っていたメッセージの引用を翻訳すると、次の通り:

「爆弾や銃が手に入らないなら、一人で行動を起こし、不実なフランス人やアメリカ人の頭を石で砕くなり、ナイフで殺すなり、車で轢くなり、崖から突き落とすなり、首を絞めるなり、毒殺するなり、できることをせよ。」

「行動する前に誰にも相談するな」

この音声は、何千ものサイトを通じて拡散してしまっているそうです。

同じ記事に、フランスからISに加わった過激主義者の一人による、ビデオメッセージも載っていました。

過激派に加わろうとしている予備軍に呼びかけたこのビデオでは、

「もうISには来るな。フランス国内でテロをしろ」

と言っているそうです。

ルパリジャン紙は、イスラム過激派の専門家であるDavid Thomsonというジャーナリストのツイッターから、このビデオを転用しています。

ルフィガロ紙も、ルパリジャン紙の記事を紹介しています。

ニースが狙われたのは今回が初めてではありません。2015年2月3日には、パトロール中の兵士三人が、ナイフで襲われ、負傷するという事件が起きています。


ルパリジャンの記事

ルフィガロの記事

2016年7月14日木曜日

外国人嫌いと同国人嫌い 1



フランス語では、「外国人」はエトランジェ。

エトランジェは、英語で言えばストレンジャーですね。

もともとは、国という概念は入っていません。

英語のforeignerは、ラテン語のforaneusから来ているそうです。戸の外という意味があるとか。

英語版wikiでforeignerを引くと、「その国の市民や永住者ではない人」とあります。

weblioのオンライン辞書によれば、foreignerという言葉は「よそ者」といったニュアンスで、あまり感じが良くないため、現在ではnonnativeとかa person from abroadなどが使われるということです。

法律的に国籍の話をする場合は、alienを使います。成田空港に帰ってきたとき、目にした方も多いのではないでしょうか。

ところで、どこの国にも「外国人なんて大嫌い!」という人たちはいます。

日本語の「外国人嫌い(外国人が嫌いだという気持ち)」を訳すと、英語でxenophobia,フランス語でxenophobieと言います(ほとんど同じですね!)

xenophobia を英語版ウィキを引いてみると、「他所のもの、あるいは変わったものと感じる事柄への恐怖心」とあります。

自分たちのグループの「内」と「外」を対比させ、「外」を恐れる心の動きだということです。

ということは、xenophobiaをいつも「外国(人)嫌い」と訳すだけでは足りないのですね。

自分たちにとって「変だ」と感じるものを恐れ、仲間外れにしようとすることが、全てxenophobia と言えるのでしょう。

で、これとよく似ているのに、「同国人嫌い」というのもあります。

次回に続きます。



2016年7月12日火曜日

地球の記録20年の写真展「しあわせのものさし」は、稀有な展覧会だ

食と農の博物館で、今おもしろい展覧会をやっています。



ピーター・メンツェルとフェイス・ダルージオは、これまで『地球家族 Material World : A Global Family Portrait』や『地球の食卓 Hungry Planet : What the World Eats』を一緒に出版してきました。

メンツェルは報道写真家としてキャリアを始めた人です。その後、報道写真では撮れない、人々の日々の暮らしに目を向けるようになりました。

例えば、『地球家族』では、国連加盟国から30ヵ国を選んでいます。それぞれの国の中流家庭で一週間暮らし、家族のデーターベースを記録します。

展覧会には、ある家族の写真と一緒に、その家族に関する資料が展示されています。アメリカや日本、モンゴルやマリの家族。

写真の横に、家族人数、住居、所有物、大切なもの、家宝、貯金、宗教、しあわせ度、成功の印などが記されています。

アイスランドの家族は貯金ゼロ。もちろん、家族にもよると思いますが、福祉が充実していると、貯金しておかなくちゃ心配、というノリにはならないのでしょうね。

消費税も日本よりずっと高いようですが、「稼いだお金は全部使う主義」だとか。稼げなくなっても大丈夫だと思えば、ため込むより使いたくなるのかも。

成功の印の欄では、日本やキューバの家族が家を持つことを挙げていました。アメリカとアイスランドの家族は、しあわせな家庭。西サモアでは、男は村の長となること。

しかし、何といっても一番印象的だったのは、ブータンの人の「必ずしも成功しなくてもよい。」

私は、究極の答えに深くうなずいたのでした。

展覧会は9月25日まで。会期中のイベントとして、
8月20日(土)世界の料理/料理教室&試食会 博物館2階 無料
9月17日(土)シンポジウム「しあわせのものさし」ー持続可能な地球環境を求めてー東京農業大学アカデミアセンターにて 無料、18歳以上対象
9月21日(水)ピーター・メンツェル&フェイス・ダルージオ トークイベント
       3×3Lab Future (大手町)にて 有料

博物館へはバス「農大前」が便利です。











2016年7月11日月曜日

三世代で楽しめる博物館 - 食と農の博物館


あまりにも暑い日、それとも大雨の日。

家の中で過ごすのもよいけれど、家の中で過ごしたくない日もありますね。

そんな時、美術館や博物館にお出かけ、という方も多いのでは。

「食と農の博物館」は、三世代でゆったり楽しめる小さな博物館です。

最初に迎えてくれるのは、鶏とチャボ。博物館の外に鶏小屋があり、子どもたちに人気。

私が子どもの頃は、どこの小学校でも小動物を飼っていたものですが、最近都会では、ニワトリさん珍しいようです。

チャボは、ちょうどヒナが少し大きくなったところで、見ていて飽きません。ヒヨコを驚かせないように、静かに見ましょう。それから、指を入れてはいけませんよ。

一階に入ると、クリオネや珍しい魚がいます。

一階は企画展の会場でもあり、大人にとって興味深い展示やイベントもあります。

今やっているのは、ピーター・メンツェルとフェイス・ダルージオによる地球の記録20年の写真展「しあわせのものさし」

階段を上がると常設展。一角に、原寸大で古民家を再現してあります。土間に、はく製の鶏がいたりして、「きっと本当にこんなだったんだろうな」と、想像を巡らせます。

日本の酒器も並べられていて、お酒を造る工程をミニチュアで展示しています。(この博物館は、東京農業大学のもの。)

再び階段を下りて、


気持ちのいいカフェでくつろぐのもいいですね。


軽食もとれます。


スナネズミくんたちも軽食とってます。

そして、隣接する温室 - バイオリウム。



ワオキツネザルや陸ガメ、熱帯の植物を見ながらぶらぶら歩いていると、放し飼いのイグアナが見られることもあります。




この花の名前はウンカリーナ・レアンドリイ。



レギュラーメンバーの他に、カメレオンやウーパールーパー、アゴヒゲトカゲを見たこともあります。

小さな動物園ですが、「この動物園が一番好き!」という子どもも。

天気が良ければ道を渡って馬事公苑へ。

博物館も馬事公苑も入場無料です。

雨が降っていたら、隣のツタヤさんで本やDVDを探すのもいいですね。ブックカフェとして、スターバックスが入っているので、読む前にコーヒーを飲みながらページを繰るのも自由。(結局買わないのも自由。)ワンちゃんと一緒の方にはテラス席もあります。

バス「農大前」が便利。
渋谷駅西口ターミナルから成城学園前駅西口行、調布駅南口行、祖師谷大蔵駅行のいずれでも。



2016年7月10日日曜日

ベルギーの友人がやってきた:一緒に日本の学校を見に行こう! - 4 -



ベルギーから来た友人とその息子さんは、美術室や音楽室を見て楽しんでいる様子。

「まあ、すばらしいピアノがあるのね。」

ピアノだけじゃなくて、他にもいろいろ楽器があるんだけど・・・
なんだか自慢になりそうで、言わない方がいいかも。

「この学校、昔は暴力があったのよ。でも、今の校長先生になってから、ずいぶん変わったみたい。」

「いい方に?」

「そう、いい方に。前は、しょっちゅう先生が生徒を怒鳴りつけてたみたい。新しい校長が来てから、先生と生徒がちゃんと話せるようにしたらしいの。今では、困ったことがあったら、生徒が先生に話しに行ける雰囲気になってる。」

「それはいいね。」

「ラッキーだったな。」

「大学も日本の大学に行かせるの?」

「それはわからない。本人が選べるようにさせてやりたい。そのためには、語学をちゃんとやっておかないと。ま、語学だけできてもしょうがないけどね。」

「日本の大学はお金かかるの?」

「かかるかかる。前よりひどくなってる。」

「その点はヨーロッパの方がいいね。アメリカも教育費大変だって聞くけど、フランスやベルギーは、大学がただだから。」

彼女のところは、夫婦ともにお医者さんだから、自分たちは教育費に困るような状況にはありません。でも、彼女は言いました。

「すべての人が、教育の機会に恵まれているのが大事だよね。」

(写真はパリの大学)

2016年7月9日土曜日

ベルギーの友人がやってきた:一緒に日本の学校を見に行こう! - 3 -



私たちはおしゃべりをしながら中学校に着きました。

訪問者としての手続きをして、担任の先生にご挨拶したあと、少し授業を見ることにしました。

といっても、友人たちには日本語がわからないので、見ておもしろい授業にしないと・・・

で、図工室と技術室、家庭科室、実験室、音楽室を見てまわることにしました。

フィンランドにも家庭科があると読んだことがありますが、ベルギーやフランスにはありません。

フランスやベルギーの小学校には、音楽の授業も特にありません。クラスみんなで声を合わせて歌うのは、幼稚園までです。

前にも書いたように、ベルギーには音楽院があって、子どもは無料ですが、小学校に音楽の授業はありません。

フランスにも音楽院はありますが、有料です。

学校が終わった後、わざわざ通わないかぎり、音楽を習うことはありません。

ですから、普通のフランス人は、楽譜が読めません。

楽譜が読めない天才的歌手というものは世界中にいるのでしょうが、一般的フランス人は歌があまり上手ではないようです。

知り合いで、木の十字架合唱団に入っていたフランス人がいました。おかげで、彼は子どもの頃、しっかり歌を習ったようです。「アメリカに行ったら、フランスよりちゃんと歌える人が多いから感心した」と言っていました。

図工の授業も寂しいものです。

たまにあっても、自分の発想で、好きな色を使って自由に描くということはありませんでした。

小学校には、図工の先生や音楽の先生はいません。担任の先生が図工も見ていました。

中学校には、美術や音楽の専門の先生がいます。美術か音楽のどちらかを選ぶと聞きました。

フランス人の友人で中学校の美術の先生をしている人がいます。美術の時間は週一コマだけ、つまり正味1時間もないそうです。

「準備や片づけの時間も入れて?」

「そう。だから、毎回大変よ。その日の課題を説明する時間、生徒が制作する時間、作品を集める時間・・・」

私の子どもが通っていたフランスの小学校5年生の図工の授業は、例えばこんな風でした。

マチスの『ジャズ』を模写する。

子どもは、一番そっくりに描けたというので褒められたものです。

フランスは、美術館を建てたり、フェスティバルをオーガナイズするのは熱心です。でも、子どもたちに絵が描けるとは思っていないようです。

算数や文法ばかりやっていると、あまり能率が上がらないのでは。脳は、やはり色んな部分を刺激した方がいいのでしょうね。

2016年7月8日金曜日

ベルギーの友人がやってきた:一緒に日本の学校を見に行こう! - 2 -



「日本の学校はお休みが少ないんでしょう?」

「まあね。でも、年間の授業数を比べると、日本の小学校の授業数は、フランスやベルギーよりずっと少ないのよ。」

フランスでは、幼稚園の時から中学生並みの時間割です。

授業がある時はいっぱい詰め込まれて、バカンスになると2か月間何もないというプログラム。フランス本国でも疑問視されています。

教科にもよりますが、やはり、勉強は、少しづつ、たゆまずにやらないと身に付かないようです。

バカンスを短くすることには、教職員の団体も賛成しています。2か月はいらない、というわけです。

反対しているのは観光業界。夏休みが短くなって、儲けが少なくなるのを恐れているそうです。

こんなことを話しながら歩いていく途中、青い朝顔に魅せられ、シャッターを切る彼女。

朝顔の原種のようなものはベルギーやフランスにもあります。でも、栽培はされていません。大輪の朝顔が壁一面に広がっているのを見たのは初めてなのでしょう。

学校に着くと、彼女たちはまず、校庭の大きさにびっくり。プールがあるのに、またびっくり。

ベルギーでもフランスでも、学校からバスに乗ってプールに行っていました。その時間は当然ロスとなります。

ただ、ベルギーでは雨が多いので、室内プールに行けるのはよかったです。一年中水泳の授業がありました。

「今日は授業の後でクラブ活動があるから、それも見られるね。」

私は、クラブ活動についてかいつまんで説明しました。フランスにもベルギーにもクラブ活動はありません。

スポーツや音楽をさせたい場合、学校とは別に通わせる必要があります。もちろん、全ては有料です。例外は、ベルギーの無料の音楽院でしょう。

学校の先生がクラブ活動にも携わっていること、授業の準備や生徒指導で遅くまで学校に残っていることを話すと、彼女たちは声を失いました。

フランスの小学校では、教師は、ほぼ子どもたちと同時に、そそくさと学校を去っていました。

小学生の場合、保護者かベビーシッターが学校まで迎えに来ることになっています。保護者への生徒の受け渡しを、先生ではない職員がする学校もあります。その場合、教師は生徒より早く学校を出ることもよくあります。

夏休みに学校に出てくる先生は一人もいません。もっとも、生徒も来ませんが。

友人は、日本の教師の労働条件を心配していました。

私も時々心配になります。

毎日遅くまで学校に残っているようですし、部活の試合の時など、休日の一日を割かなければなりません。

子どもの教育は、社会にとって最も大切なものの一つでしょう。

それに直接携わる先生が疲弊しないように、また、教育に集中できるようにしてほしいものです。



2016年7月7日木曜日

ベルギーの友人が東京にやってきた:一緒に日本の学校を見に行こう!

ベルギーの知人が、子どもを連れてやってきました。

ベルギーでは7月に入れば学校は休み。

新宿に泊まっているということなので、どこで待ち合せたらいいか、色々考えて、京王デパートの正面玄関にしました。

外で待っているのは辛い季節だし、あそこなら椅子もあります。何より、わかりやすいです。

私が着いた時には、もう彼女と中学生の息子さんが来ていました。子どもはあまり変わっていなかったので、ちょっとホッとしました。

上の子たちは、今日はショッピングに行ったとのこと。

歌舞伎町に近いホテルに泊まっているということなので、バーに気をつけるよう言っておきました。

「日本にはあまり泥棒がいないんでしょう?」
東京は大都市のわりに安全だという、半分ほんとうの情報を読んできたらしい。

自転車やバイクによるひったくりのことを言うと、すぐに分かった様子。パリにも多いですからね。

驚かしたくはない。でも、無事に良い旅をしてほしい。

息子さんと私の子どもはベルギーで同じクラスでした。明日からはもう京都に行くということなので、会えるのは今日のみ。

私の子どもが通っている東京の学校は、その日は公開日。授業が終わるころ行ってみよう、ということになりました。

ベルギーにもフランスにも授業参観というものはありません。授業がどんなふうに行われているか、保護者が見る機会はないのです。

学校公開日というものは確かにあります。ただ、それは入学を検討している保護者を対象としたもので、いわば宣伝のためです。(日本でも、私立校はよくやっていますね。)その時でも、授業を見せてもらえるのはまれです。

フランスでは、一度入っちゃったら最後、

「先生を信頼してください。」と言われました。見た上で、信頼したいんですけど。

同じヨーロッパでも、フィンランドやドイツの教育と、フランス、ベルギーの教育は、ずいぶん違います。

2016年7月6日水曜日

ダッカのテロ:ニューヨークタイムズの記事より


7月2日付のニューヨークタイムズに、人質に取られていたレストラン関係者の証言が載っていた。(nytimesの記事)

その中に、アルゼンチン出身のシェフ、ロッシーニさんの話があった。テロリストが入ってきたので、あわてて屋上に逃げたという。ソーシャル・ネットワークを通じて、必死で自分の場所を警察に伝えようとしていたそうだ。

警察は、犯人たちに連絡しようとしたが、犯人たちは、決して応じることがなかったという。

レストランで働いていたバングラデシュ人の一人、Baraiさんは、「犯人たちは、バングラデシュ人に対しては、丁寧に接していた」と言う。

とはいえ、最後にBaraiさんら9人は、一緒に一つのトイレの中に閉じ込められた。

レストランの外では、彼のいとこが固唾を飲んで事の成り行きを見守っていた。

「外の様子はどう?」と、Baraiさんはいとこにメッセージを送った。

いとこは、対テロ特別部隊が突入の準備をしていると伝えた。「すぐはやらないよ。君たちが犠牲にならないように。」

Baraiさんは、「ぼくたちはここにいる。できれば壁を壊して救い出してほしい。」と伝えた。

明け方が近づくと、4フィート(約1,2m)四方のトイレの中で、彼は全員が窒息死するのではないかと恐れ始めた。

「早くトイレに来てほしい。苦しい。」

このメッセージの後、いとこが再び連絡したとき、Baraiさんからの答えはなかった。

いとこは歩道に座り込んで嗚咽をもらし始めた。

後で救い出されたBaraiさんは、犯人たちは最初から死ぬつもりだったらしいと語った。

犯人の一人は、死体を指して、「ぼくたちがここで何をしたかわかるだろ。同じことがこれからぼくたちに起こる。」と言ったという。

2日付けのこの記事には、日本でも報道されたフセインさんの話もすでに載っていた。

外国人の友人たちと一緒にレストランに来ていたバングラデシュの学生である。犯人たちに、行っていいと言われたにもかかわらず、友人たちが一緒に行くのをゆるされなかったとき、自分も残るといって、犠牲になった人だ。

ちなみに、いち早く詳細に成り行きを記したこの記事の終わりには、人名などの間違いを後になって修正したことが記されている。日本の報道の在り方と少し違うのかもしれない。

2016年7月5日火曜日

ダッカのテロで失われたもの


テロリストによるダッカの人質事件は、悲しい結果になりました。

無念の死を遂げた方のこと、ご家族の方のことを想うと、どんな言葉も虚しく感じられます。

外国人を狙ったテロリストたち。しかし、彼らにとって外国人である犠牲者の中には、バングラデシュの発展のために力を尽くす日本人もいました。

「テロに屈しない」とか「憤り」と言っても、どのように屈しないか、どのように憤るかこそ、問題でしょう。

有志連合の空爆が始まった当初から、テロの拡散は懸念されていました。

サミットの最中に、日本のどこかでテロが起こる可能性も示唆されていたくらいです。

恐れていたように、泥沼化してしまった「テロとの闘い」。

移民に門を閉ざすことは、解決にはならないでしょう。

東京オリンピックまでに、答えは見つかるでしょうか。

2016年7月3日日曜日

広尾のイタリアン・カフェ、ピエトレ・プレツィオーゼ


地下鉄広尾駅のすぐそば。外苑西通り沿いに、おいしいカフェがありました。

ビルの一階。ちょっと入ったところにテラスが。

お食事もできます。名前は忘れましたが、イタリア風パンに、マリネした野菜がゴロゴロ入ったサンドイッチやパスタ。

そして、コーヒーがおいしかった。



オリーブの根元にはコルクが一杯。


日曜定休だそうです。