2018年11月22日木曜日

日産会長カルロスゴーン氏逮捕


フランスではどう報道されているのかな?と、いくつかの有名新聞や雑誌をオンラインで見てみた。
経済紙として最も知られているレゼコーは「カルロス・ゴーン:計略にはめられたという説は信頼に足るのか」という見出しで、「ゴーンが拘束されたというニュースが流れると、日本人によって用意されたクーデターではないのかという声が
フランス国内で多く上がった。しかし、ルノー周辺を含め、だれもがこの意見に賛同しているわけではない。」
フランスの二大日刊紙の一つ、かつて左派と言われたルモンドは「カルロス・ゴーン失脚の後、ルノー日産三菱アライアンスの行方は」という見出しで「多くの自動車産業関係者にとって大地震に等しい衝撃」二大日刊紙のもう一つ、保守系の新聞ルフィガロの19日付「カルロス・ゴーン日本で逮捕される」という短い記事には、多くの読者がコメントを寄せている。
読者のコメントには「もしフランス国内で同じことがバレたとしても、ゴーンはちょっと取り調べを受けただけで終わってしまっただろう。外国の検察による厳しい追及がないと、こうした事件はうやむやにされてしまう。」という主旨の論調が目立つ。
この意見にはフランスの銀行ソシエテ・ジェネラルがアメリカで制裁を破り、巨額の罰金を払うことになったことも関係しているのだろう。

2014年にも別のフランスの銀行による同じような事件があった。
やはりフランス系の銀行であるBNPパリバが罰金を科せられそうになった時、当時のオランド大統領はオバマ大統領に寛大な措置をお願いした。
が、オバマ大統領は「大統領は司法に口出しできない」と言って断ったものだった。

三権分立という考え方を最初に作ったのはフランスのモンテスキューだが、今では本国フランスよりアメリカの方が三権分立を守っているということか。

とはいえ、ソシエテジェネラルのケースでは、フランス人に人気の高いキューバにお金を送っていたこともあって、フランス人の反応は複雑である。

ゴーン会長逮捕の話に戻ろう。
「金は持てば持つほど欲しくなる」という言い回しを引用している人も多い
「一部の人間達の野心は本当に病的だ。何億儲けたって、牢獄に入らなきゃいけなくなるんなら、何の役に立つんだ?」
「お金をごまかす億万長者と毎月の収支を合わせるのに苦労する一般的フランス人の隔たりはショッキング」
「マクロン大統領にはまたしても痛手だ」
そのルフィガロは20日に「カルロス・ゴーン、東京で過酷な拘置状況」という見出しで

小菅拘置所は人権団体からよく知られており、通常は彼のような有名人は入らない、とある。
「彼は恐らく独房に入れられ、尋問の間弁護士の付き添いもなく、身内が会えるかどうかも不確かである。おそらく妻のキャロルには会えるのだろう。だが一日15分のみで監視の下、日本語で話さなければならない。夫は少ししか日本語が話せず、妻は全然話せないのだから二人の苦しみは想像に難くない。」

そうなの?
「恐らく」とか「想像」ではなく、実際のところが知りたい。

ルフィガロは21日にも続けて「日本での彼の拘置条件はどのようなものなのか」という見出し。
「カルロス・ゴーンは東京の小菅拘置所に拘束されており、drastique な拘置条件を耐え忍ばなければならない。」
drastique という形容詞は英語のdrasticとほぼ同じで、文脈によって大幅な、徹底的な、猛烈な、等の意味になる。
保守系総合誌ルポワンは11/20付で「カルロス・ゴーンは日産による「クーデター」の犠牲者か」
革新系新聞リベラシオンは「盲目」という見出しで皮肉たっぷりに
「巨額な報酬を受け取りながら、なお足りなかったと見える」とゴーン氏を批判。
「ここまで盲目になるとは。日産を立て直し、ルノーとの困難な提携を成功させ、世界トップクラスの自動車産業を作り上げた。(...)華々しい経歴も彼には十分ではなかったようだ。」

英語、フランス語を上達させたい方必見!
TOEICスコアアップのアドバイスもしています。
https://profile.coconala.com/users/1024876

2018年10月31日水曜日

ハロウィーン、皆で羽目を外せば怖くない?

カボチャ、菊
南瓜と菊
ヨーロッパでハロウィンといえば、お墓参りだった。

そのヨーロッパでも、もちろん人は羽目を外すことがある。

一部のサッカーファンが羽目を外しすぎて周りの人達に迷惑をかけてしまうことなどもある。

だからサッカーなんて大嫌いだ、というヨーロッパ人もいる。
ヨーロッパの人なら皆サッカーが好きなわけではない。

人間というものは、年がら年中、四六時中、真面目にしていられるものではない。
どこかで羽目を外さないと持たないだろう。

要は、それが他の人の迷惑となるかならないか。

日本人はシャイだから、集団にならないと羽目を外せないということもあるかもしれない。
でも、実は羽目を外すのに群れる必要は必ずしも、ない。

例えば、アートの中に自分を解放する人もいる。

海外からやって来たあるダンサーが、日本でグループを作るに当たって嘆いていたことがある。

「みんなで集まった時何かが起こるには、一人の時に練習したり、考えたり、感じたりしていることが前提なんだよ。 
一人で何もしないでいて、みんなで集まりさえすれば何かが起こるとか、誰かが何かを与えてくれるとか思ってやってきても、何も起こらないよね。」

集団練習を休んだことがないからと言って、勤勉とは限らない。

頭の中は勤勉か?
感性は? 

<広告>
  

2018年10月30日火曜日

ハロウィン!ハロウィン?渋谷で軽トラックが倒された!


なぜここまで加熱してしまったのか?

と考えてみると、ハロウィンがかつての祭のような役割を担っているからかもしれない。
日本各地に残る奇祭とハロウィンの違いはなにかと言えば、祭には社会のコンセンサスがあるけどハロウィンにはない、この一つに尽きるだろう。

祭の役割の一つは、一年間真面目に働いてきた人たちが一年に一度羽目を外すことでもあった。
普段真面目に働いているからこそ、羽目を外す時は思い切り外す。

コンセンサスのない「祭」の真ん中に迷い込んでしまった軽トラックには心から同情する。
持ち主の方がきちんと弁償してもらえますように。

トラックをひっくり返してしまった人たちは、今頃我に返って青くなっているかもしれない。
みんなで盛り上がって我を忘れてしまうことを「集団心理」という言葉で心理学者は説明していたけれど、 日本社会で育った人達には、集団心理に陥りやすい人が多いようだ。

イジメの問題もこれと関係しているのだろう。

日本でも、何らかの意味でマイノリティの意識を持っている人は、「みんなの盛り上がり」に乗れないという経験があり、 集団心理に陥りにくい面を持っていることがある。

しかし、「みんな」に加われなかったからこそ、加われる場面では思い切り加わってしまうという人もいるかもしれない。

非行を激減させたある中学校の校長が言っていた。
人は一人でいる時に子どもから大人になるのだ、と。 
みんなでワイワイ言っているときに成長するのではない。

だが、授業が終わってからも夜7時近くまで学校にいて、週末も試合に出かけていくような生活の中で、個を養う時間がどれくらいあるだろう。

大人になっても個が成熟していなければ、集団の中で我を保つのは難しい。

<広告>
 

2018年10月2日火曜日

ノーベル賞受賞の本庶佑さんを見てあることに気付いた


ノーベル医学生理学賞、2018年は本庶佑先生に決定。

昨夜その報せを告げるニュースを見ていて、気がついたことがある。

受賞した研究者があまりにも美男子であることだ。
まるで二枚目俳優。

(これまで受賞した先生方も、もちろん素敵なお顔をなさっていました、念のため。)

今76歳でこんなイケメンなら若かりし頃はさぞかし、と思った。 

今朝、若い時の映像が出て二度びっくり。

ふ、ふつーではないか。

そうか。 

遠い地平線を見つめるかのような眼差し、キリリと結ばれたくちびる、削ぎ落とされた頰。

今のあのお顔は、本庶先生の人生と共に作られていったものなんだ。

続いて仲間によって語られるエピソードは、それを物語るものだった。

時流に流されず、自分が知りたいことを追求する。
若い同級生の死の衝撃によって、ガン治療に興味を持つ。
新薬開発を多くの企業に断られながら、粘り強く交渉を重ねる。 

「男は30を過ぎたら自分の顔に責任を持たなければならぬ」とか言う。
もちろん、それは男に限らない。
毎日の表情が、私たちの顔を彫刻していくからである。

ということは、私たちにもチャンスがあるということだ。

ノーベル賞を取るチャンスのことではない。

76歳になった時に、若い時よりも美しい顔を持つチャンスである。 

<スポンサーリンク>
業界初・オンライン特化型コーチ スタディサプリENGLISH

2018年8月11日土曜日

塾の選び方を現役講師に聞いた - 意外なポイントとは


夏休みといえば、海、山、おじいちゃん、おばあちゃんの季節だが、塾の夏期講習の季節でもある。

これからお盆で、夏期講習も一息つく塾が多いようだ。

複数の塾で講師をした経験があり、数多の受験生を合格に導いた友人に先日愚痴を聞かされた。

塾をどうやって選んだらいいか迷っている方や、これから塾で教えたいと思っている方にも参考になりそうな話だった。

難関校狙い専門の塾もあれば、いわゆる補習塾もある。
一クラスの人数が多い塾もあれば、少ない塾もある。
しかし、塾選びのポイントは、そうした外から見て分かることだけではないと言う。

校風があるように、塾にも塾風があると彼女は言う。
勉強を教えるだけではなく、生徒と良いコミュニケーションを取る必要がある。
そこまではどの塾でも同じだが、良いコミュニケーションの意味が塾によって異なるそうだ。
同じ系列の塾でも、居住区域によって雰囲気が変わることも多いらしい。

ある塾では、教師と生徒は親しくてもケジメがあることが良いコミュニケーションだし、別の塾では教師と生徒が馴れ合っているのが究極の良いコミュニケーションとされる。

ある塾の子どもたちは教師がダジャレを言うと白けるが、別の塾では歓迎される。

真剣に勉強する子を育てようとしている塾もあれば、サービス業だからとにかく笑いを取らなくては!という塾もある。

「楽しく勉強する」の「楽しく」にも色々あるということ。
ところが、講師が研修の段階で言われることに、さほどの違いはないそうだ。

だから、講師としては入ってみないと分からないということになる。

生徒と保護者の立場だと、体験入塾ができればいいが、そうでない場合は信頼できる人に聞いてみるしかない。

子どもが満足していても、なぜ満足しているか確かめる必要があるし、逆に不満だとしても、問題があるからだとは限らない。

塾風が合う合わないは人によって違うので、良いか悪いかではなく、教師と生徒の関係がどんな感じかを確かめた方がいいだろう。

<スポンサーリンク>

2018年7月20日金曜日

常田富士夫さん、暑中お見舞い申し上げます

常田富士夫さん
またとない個性
忘れえぬ存在

市川悦子さんとの
『まんが日本昔ばなし』
いつ見ても
すっかり引き込まれて

本当にありがとうございました😢💐

2018年7月14日土曜日

老いた親が障害のある子どもを殺すという事件はなぜ止まない 2



親が心配のあまり子どもの命を奪ってしまうという事件。
実は、社会と個人の関係とも絡んでいるのではないかと思う。

日本では、家族という集団が他者である外部に閉じられている。

自分の子どものことは自分で何とかしなければならない。
他人様に迷惑を掛けてはならない。

子どものことだけではなく、年老いた親や夫婦間の介護もまた同じである。

自分がいなければこの子はおしまいだとしか思えない。
神様が面倒を見てくださるだろうとも思えないし、世間様が面倒を見てくれるだろうとも思えない。

そのような家族観に合わせるように、またはそのような家族観を利用するかのように、社会保障もまた貧弱である。 

個人主義であれば、誰でも社会の中の個人であることに変わりはない。
ケアが必要な人を社会全体で見る社会保障の考え方も馴染む。

助けが必要な人には赤の他人であっても手を差し伸べる、それが連帯という言葉の意味でもある。

しかし、家族という集団が分割しうる最小の単位で個人が存在しなければ、社会が個人と繋がることは不可能である。

かつては大家族が一般的だったからそれでも機能したのかもしれないが、頼みの家族が小さくなった今、家族主義は非力である。

高齢化が進まなくても難しいのに、高齢社会で核家族が社会から孤立したら生きていけなくなる。

障害のある子どもを抱え、自治体に相談したが何もしてもらえず、結局悲惨な結末となった例もあった。

一皮むけば悲惨な社会 - それでは誰一人心から安心して暮らせない。

新しい考え方、新しいシステムが必要なのだとあらためて思う。


<スポンサーリンク>
業界初・オンライン特化型コーチ スタディサプリENGLISH