2018年1月30日火曜日

指導死を繰り返さないために - 言葉の暴力


教師の不適切な指導が元で子どもが自殺してしまう。

それを「指導」と言えるだろうか。

暴力は肉体的なものとは限らない。

言葉による暴力も、また過酷なものとなりうる。

それは教師と生徒に限らず、親と子、夫と妻、上司と部下、 子どもたち同士、至るところで起きている。

子どもの成長を助けるのが教師の仕事であるはずなのに、命を奪ってしまうとは。 

してはいけないことを教えるのが指導であり、お前は駄目な奴だと相手を貶めるのは破壊である。

人格の破壊であり、健康の破壊であり、命の破壊である。

叱られている側が、なぜ叱られたのか理解できるのが有効な指導というものだ。

最も重要な目標は子ども自身の成長であり、校則さえもそのためにあるはず。

校則を守ることに汲々として、大切なことを忘れては本末転倒という他はない。


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2018年1月27日土曜日

ウディ・アレンとは誰だったのか -1-



ウディ・アレンとは誰だったのか。

と、過去形で語ると、彼を擁護する人からも批判する人からも叱られてしまうだろう。

一方では、彼は今も映画監督として活動を続けるアクティヴな存在であり、他方では、彼に対する告発は未解決で、終わったわけではない、と。

それでも、これまでのところ、ウディ・アレンとは誰だったのか。

彼の映画を見るのは、大抵の場合楽しい体験だ。 

笑える映画から深刻なテーマまで、初期の作品から最近のものまで、彼の作品に共通しているのは目の付け所の良さである。 

映画を作り始める前、まずはギャグ作家として、次いで放送作家として、さらにコメディアンとして成功したのも、目の付け所や物の見方が独特だったからだろう。

独特であるだけでなく、「待ってたよ、こういうの。」と多くの人に共感できる要素があった。

ユーモアを産む要素には色々あるだろうが、その一つに、同じ物事を角度を変えて見るというのがある。

そういえば、2005年に発表した映画に『メリンダとメリンダ』というのがあった。
一人のヒロインの同じシチュエーションから始まる二つの別々の物語、喜劇と悲劇が並行して語られる。

ギャグ作家、放送作家としてスタートするために親戚のコネもあったらしいが、自らの才覚とハードワークによって世界に認められウディ・アレン。

結果として映画産業で大きな権力を持つこととなった。

家族や友人が権力者だとか、資産家の家に生まれたから権力を持っているわけではない。

それでもその権力が、彼を告発の届きにくい存在としてきた。


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2018年1月26日金曜日

ウディ・アレンの傾向と対策


ウディ・アレンの映画を見ていてよく引っかかったのが、ピグマリオン・コンプレックスとでも言いたいような登場人物の性癖である。

源氏物語コンプレックスと言った方が日本人には通りがいいかもしれない。

源氏がまだ幼い紫の上を見初め、自分好みの女性に仕立て、 連れ添った物語。

子どもの成長を助けるというより、自分の保護下に置き、価値観を植え付け、自分の下に留まらせたいという欲求。

ただ、そうした欲求を持っていることと、それを実現に移すのとは大違いだし、精神的に影響を与えようとするのと、体に触るのとは大違いである。

作品と作家の実生活をゴチャ混ぜにするのは危険なことでもある。

が、少なくとも彼の作品を見ると、成長期の女の子に影響を及ぼし、ついでに恋してしまうという傾向は顕著である。

映画『マンハッタン』で、アレン演じる年上の男と付き合う若い女性を演じたマリエル・ヘミングウェイ(作家アーネスト・ヘミングウェイの孫娘)はこう語っている。

映画を撮った後、アレンは彼女の両親の家に来て、彼女をパリに連れて行く許可を得ようとした。
ヘミングウェイは、彼が自分に恋心を抱いていたように感じたと言う。
それは、多くの男性が自分よりずっと若い女性に向けるありふれた好意に過ぎなかったのでは、と。

映画の中では、アレン演じるテレビ・ライターは47歳。
17歳の女の子とプラトニックラブの関係にあるという設定だった。

ここで、彼が長年に渡って一緒に映画作りをしたミア・ファローを見てみよう。

彼女は何歳になってもどこか少女のような面影を持った女性だ。
体つきもそうだし、表情や雰囲気もそうだ。

一方で、彼女は彼と出会った時すでに俳優としてのキャリアがあり、彼に見出していただいたわけではない。
彼に作り上げられたわけでもない。

彼の豊かな教養に影響を受けることはあったかもしれないが、一般にカップルが影響し合うのと同じ程度のものだったのでは。

いわば、対等のパートナーだったと想像できる。

アレンはその後、ミア・ファローの養女である若い女性と結婚した。
彼の傾向を鑑みれば、驚くにも当たらない出来事である。

そのような「傾向」を持った年上の人と出会ってしまった若い人はどうしたらいいのか。

対策は大昔から次の二つと決まっている。

一つは、その人の名声や富、才能や教養を利用させてもらうこと。

もう一つは、とっとと逃げること。

どちらも犠牲を伴うかもしれない。

自らの意志に反して実害を被ってしまった場合は、告発するしか道はないだろう。
そして、その場合もやはり、犠牲を伴うのではないだろうか。


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2018年1月25日木曜日

ウディ・アレンとMeToo ムーブメント


ウディ・アレンに対するディラン・ファローの告発は、25年間アレンの評判を落とすことはなかった。

が、MeToo ムーブメントの影響もあり、このところ風向きが変わってきたらしい。

ディラン・ファローはアレンの養女。
7歳の時に養父から性的虐待を受けたと主張してきた。

ディランによる最初の告発は1992年。
彼女がニューヨークタイムズに公開状を発表したのが2014年。
その間アレンの映画監督としてのキャリアに陰が差すことはなく、アレンは毎年のように作品を発表し続けた。
今年になってから、ファーローは初めてテレビで、虐待について詳細かつ具体的に語った。  

これを受けてか、かつてアレンの映画に出演した俳優たちが、次々に彼と仕事をしたことを後悔すると公言。
コリン・ファース、 グレタ・ガーウィグ、ミラ・ソービノ、レベッカ・ホールらがもう二度とアレンと仕事をしないと言っている。
アレンの作品で得たギャラを、性的虐待の被害者支援団体に寄付する者も。

この動きに対して渦中のアレンは「無実は25年前に証明済み」としている。
さらに、「MeTooムーブメントを利用して蒸し返しているだけだ。」と反論。

ただ、25年前に不起訴となった事情はもっと複雑なようだ。

次のような事実が報道されている。
不起訴となった理由の一つは、当時、裁判で証言することがディランにとって負担が大きすぎると判断されたため。 
3人のベビーシッター達は、ディランの主張を裏付ける証言をしていた。
アレンは当初虐待の現場となった物置には行ったこともないと主張したが、自分の髪の毛が発見されると証言内容を変えた、など。 

今後どうなるかはまだわからない。

すでに起こったこと、起こらなかったことは何だったのか、近々明らかになるのだろうか。

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2018年1月20日土曜日

相撲からジャズまで


日本人とアフリカンアメリカンというと、もう一つ思い当たることがある。

パリでジャズの専門家の家に行ったとき、本棚に日本語のジャズの本が並んでいた。
実はそれは目録のようなものらしく、日本語が読めない彼は、英語の人名やアルバム名を調べるために使っているらしかった。
彼は、日本には重要なジャズの本があると言っていた。

そのとき私は、前に感じたことを思い出した。
ジャズの時間感覚は、伝統的な西洋の時間感覚とは違う。
むしろ日本の禅の感覚と近いのではないか、ということだ。

別の日本人は、やはりフランスで別のジャズ蒐集家に、日本に行ったらこういう本を買って送ってくれと頼まれたという。

日本は近代以降、西洋から多くの文物を取り入れた。
カレーライスだって、インドから直に伝わったのではなく、ヨーロッパ経由だという。
そういえば、インドではカレーにライスではなくナンを添えるのが主流なのでは。

ジャズにしても、アメリカの白人が取り入れたからこそ、日本に伝わったのにちがいない。

でも実は、ジャズを直接理解できるような文化的素地が日本には元々備わっていたのかもしれない。


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2018年1月16日火曜日

相撲道に拘るか、それとも勝てばいいのか



あらゆることが時代に連れて変わっていくのだから、相撲だって変わっていくに違いない。

かつて見過ごされていた暴力は、今は到底認められない。

ただ、明文化されたルールさえ守ればいいのか、それとも横綱はやはり横綱らしい相撲を取らなければならないのかという問題になると、問題はもっと複雑である。

ふと思い出したのは、アメリカでとても人気があったバスケットボール選手の話。

彼は黒人で、黒人にも白人にもファンがいた。

しかし、試合をどう評価するかに関して、黒人と白人では視点が違うと読んだことがある。

もちろん、白人といっても色々な人がいるし、黒人といっても色々な人がいる。
十把一からげに言えるものではない。
それでも、試合の翌日、試合を見なかった人が見た人に尋ねる文句が違うというのだ。

「彼は何点入れた?」
こう尋ねるのは白人に多く、
「彼は踊ったか?」
こう尋ねるのは黒人に多かったという。

「彼は踊ったか」とはどういうことだろう。
私はバスケットのこともその選手のこともよく知らないので、「踊った」が具体的にどんなことを意味するのかは分かりかねる。

彼が本当にノッテいるとき、彼の動きが踊っているとしか言いようのないものになるのか。
それとも、彼は本当にノッテいるときや点を入れたときなど、実際に踊ることがあるのか。

いずれにしても、ここに垣間見えるのは価値観の違いである。

何点という効率優先の価値観と、本当に燃焼したかという、効率では計れない幸福度のようなもの。
美的感覚。

横綱が張り手するのを見たくない、美しくないとする価値観と共通している。

倫理観もある。
横綱のような強い人、山の天辺に立っている人は、下から登ってくる人を正面から受け止めなくてはならない、というのは倫理観だろう。

効率主義で、経済に於いて世界の勝ち組となった西洋。
その中心的存在であるアメリカに生きるアフリカンアメリカン。
効率主義に追いつき追い越した日本人。

何世代にわたってアメリカに生きながらも、西欧的価値感に縛られない感覚を持ち続けるアフリカンアメリカン。
経済では効率主義を取りながら、経済と無関係なところでは別の感覚を持っている日本人。
案外近いものがあるのかもしれない。

もちろん、世界は西洋対反西洋という二項対立ではない。
西洋以外の世界にも色々違ったものがあるし、西洋の中だって、実は単一とはいえない。
日本の中だって単一ではない。
その単一ではない日本の中に、良くも悪くも、効率的とか合理的ではない価値観も息づいているということか。


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2018年1月13日土曜日

海外にも成人式ってあるの?



世間は成人式の話題で喧しいが、考えてみたら、ヨーロッパで成人式という言葉を聞いたことはなかった。

試しにフランス語で「成人、祝い」等でググってみると、な、なんと!
一番最初に出てきたのは日本の成人式に関するフランス語版ウィキペディア。

フランス語版ウィキは、日本の成人式の起源は神道の元服の儀や裳着にあるとしている。
日本語版ウィキには、戦後の混乱の時代に埼玉県北足立郡蕨町が若者を励ますために「成年式」を行い、これが全国に広まったとあるが、フランス語版の方にはこのことは書いてない。

書いとけよ。

ちなみに、フランス語版グーグルの同じページには、ユダヤ教徒で13歳になった子どもたちのための宗教的儀式であるバーミツバと、ペルーで15歳になった女の子を対象に行われる伝統行事についての記事も出ている。(2018年1月13日調べ)

キリスト教にも堅信という儀式があり、既に洗礼を受けている12-15歳くらいの子どもたちを対象に教会で行う。
女の子は白いワンピース、男の子はスーツが多いが、袴や振袖ほど高価ではなさそう。
赤ちゃんに洗礼を受けさせる人も減っているため、この儀式をする人も多数派とはいえない。

冒頭の写真は、インターネットでバーミツバ(bar mitzvah)のフリーで使える写真を探したら出てきたもの。
音楽でお祝いしてあげてるらしい。

日本で自治体が正式な行事として成人式を行うのは、日本の成人式が無宗教だからだろう。
ヨーロッパでは市役所で成人式を行うことはない。

市役所でするのは、例えば結婚式。
ヨーロッパの結婚式のことはまた別の機会に。

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2018年1月11日木曜日

東京でガレットデロワを買ってみた



ガレットデロワ、ゴントランシェリエ、スイーツ、グルメ、スィーツ、フランス、パイ


去年は確か「東京で買うと高いから来年は自分で作ろう」なんて偉そうなことを呟いていたのだった。

今年はガレットデロワのことをすっかり忘れていた。

クリスマスの飾りをさすがにもう片づけなくちゃ、と思ってハッとしたのだ。

そうだ、あれを食べないとクリスマスの一連の行事は終わらない・・・

というわけで、フランスから来たパン屋さん&パティシエ、ゴントランシェリエの近くを通ったついでに、今年もやはり買ってしまった。

店に入って見てみると、ひとり分ずつ切ったガレットしか置いていない。

そこで、レジに行って「ガレットデロワのホールはありますか。」と聞くと、奥に入って確かめてくれた。

「一つだけあります。」

ホッ。
3000円也。
珍しく、栗が入ったガレットだとのこと。

フェーブは中に入ってなくて、別に付けてくれた。

家に帰って裏からフェーブを入れ、子どもに目をつぶって選ばせる。

私はガレットの上でナイフを動かす。
「ストップ。」と子ども。
「誰の?」と私。
人数分これを繰り返す。

ガレットデロワ、ゴントランシェリエ、スイーツ、グルメ、フランス、パイ、スィーツ


ガレットは手で食べます。
風味があって、とてもおいしかったですよ。
ゴントランシェリエ、ガレットデロワ、スイーツ、スィーツ、グルメ、フランス

今年フェーブを当てたのは私でした。

ガレットデロワ、ゴントランシェリエ、フェーブ
とってもリアルに作られたガレットの形のフェーブでした。

ガレットデロワについては、前に書いた記事で詳しく説明しています。

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2018年1月6日土曜日

フランスのエコロジー、日本のエコロジー



年末にトレイをまとめて出しに行って、リサイクルボックスの中のトレイの量に改めて驚いた。

リサイクルするんだからいいと言っていいのかな。

因みに、私がそのスーパーに来たのは、透明のトレイも集めてくれるからだ。

確かに、このボックスの中にあるプラスチックは、風に乗って水路に落ち、海に運ばれて生き物のお腹の中に行くことがないだけマシだ。

ただ、リサイクルするにもエネルギーは必要だし、リサイクルする必要さえなければもっといいのだろう。

日本人は生真面目にトレイを洗ってリサイクルに出すけど、フランス人はそんなことはしない。

フランスでは、「なぜ私が私の水でそんなことしなくちゃいけないの?」という反応が多い。

エコロジーに関する意識は、お隣のドイツとは大違いだと言っていいだろう。

ところが、だ。

フランスの知人によれば、フランスのスーパーはプラスチックのトレイを使うのをやめたと言う。

廃棄しても環境に負荷のかからない材料でトレイを作ることにしたのだそうだ。

やるじゃないか。

もしかして、フランスの消費者がずぼらだから、逆にトレイ革命が実現したのかもしれない。

でも、ドイツ等ではすでにやってるかもね。