2018年7月14日土曜日

老いた親が障害のある子どもを殺すという事件はなぜ止まない 2



親が心配のあまり子どもの命を奪ってしまうという事件。
実は、社会と個人の関係とも絡んでいるのではないかと思う。

日本では、家族という集団が他者である外部に閉じられている。

自分の子どものことは自分で何とかしなければならない。
他人様に迷惑を掛けてはならない。

子どものことだけではなく、年老いた親や夫婦間の介護もまた同じである。

自分がいなければこの子はおしまいだとしか思えない。
神様が面倒を見てくださるだろうとも思えないし、世間様が面倒を見てくれるだろうとも思えない。

そのような家族観に合わせるように、またはそのような家族観を利用するかのように、社会保障もまた貧弱である。 

個人主義であれば、誰でも社会の中の個人であることに変わりはない。
ケアが必要な人を社会全体で見る社会保障の考え方も馴染む。

助けが必要な人には赤の他人であっても手を差し伸べる、それが連帯という言葉の意味でもある。

しかし、家族という集団が分割しうる最小の単位で個人が存在しなければ、社会が個人と繋がることは不可能である。

かつては大家族が一般的だったからそれでも機能したのかもしれないが、頼みの家族が小さくなった今、家族主義は非力である。

高齢化が進まなくても難しいのに、高齢社会で核家族が社会から孤立したら生きていけなくなる。

障害のある子どもを抱え、自治体に相談したが何もしてもらえず、結局悲惨な結末となった例もあった。

一皮むけば悲惨な社会 - それでは誰一人心から安心して暮らせない。

新しい考え方、新しいシステムが必要なのだとあらためて思う。


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