2018年7月12日木曜日

老いた親が障害のある子どもを殺すという事件はなぜ止まない

しばらく前になるが、 年老いた母親が心臓に障害のある娘を殴って死なせてしまうという痛ましい事件が起こった。

母親は自分がいなくなった後、娘がどうなるのかと思いつめてしまったという。

この種の事件が後を絶たないのはなぜだろう。

実は西洋では極めて少ない。

一つの文化圏が別の文化圏より倫理的に優れているとか劣っているということは普通考えられないが、こうした事件に関しては日本の方がずっと多い。

その説明としてよく引き合いに出されるのがキリスト教の影響である。

子どもの命は親のものではなく、神のものだから、それを奪うのは恐ろしい罪だとされる。

同じ理由で自殺もまたタブーである。

自分の命もまた神のものだから、自ら命を絶つことは神に対して罪を犯すことになる。 

私は別の説明をフラン人の母親に聞いたこともある。

「私たちは、その子が生まれたいから生まれてきたと考えるんです。」

そういえば、「生まれる」というフランス語は能動態で表される。
日本語でも英語でも受け身なのに。

「産む」に対して「産まれる」「生まれる」があり、bearに対してbe bornがあるのだが、フランス語には「生まれる」という独立した一つの言葉がある。

フランス語で初めてこの言葉を習った時、私は少なからず驚いたものだ。 

しかし、理由はこの二つだけではないと思われる。

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