と私が言いたいのは、選考委員の方々に対して。
ノーベル賞が、生き生きとした価値あるものとして、今後も信頼を保つために、遅すぎない決定でした。
ボブ・ディランのファンの中には、反体制の巨星が、受賞によって、体制の中に片付けられてしまうのではないかと心配する人も多いかもしれません。
でも、今アメリカで起こっていること、世界で起こっていることを考えた時、ディランが受賞する意味は大きいでしょう。
ニュースでは、ミュージシャンとかシンガーソングライターとばかり報じられています。
もちろんそれは事実です。
でも、それだけじゃない。彼が創る歌詞の文学的価値に感銘を受けた人も多く、本として出版された歌詞を「読んで」いる人は昔からいました。
2004年に発表された自伝も評価が高く、本国アメリカだけでなく、当時私が住んでいたヨーロッパでも評判になっていました。
自伝によって、人々は彼の文学的才能を再確認していたという感じ。
それでも、フランスのメディアを見ると、「意外な文学賞」という言葉も並び、少しじれったい思いがします。
そもそも、最初の詩というものが、書かれたものでなく、語られたもの、歌われたものであるなら、デイランこそ正統派詩人ということもできるかもしれません。
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