2017年5月4日木曜日

子どもの日なのか、端午の節句なのか?


5月5日は子どもの日。
そして端午(たんご)の節句(せっく)。
一体どっちなんだ?

ええとですね、両方です。

まず端午の節句。

節句というのは、中国の暦で決められたもので、一年に5個あります。
1月7日、3月3日(桃の節句)、5月5日、7月7日、9月9日。
どれも奇数です。 
節というぐらいで、季節の節目なのですね。
今も季節の変わり目は体調を崩しやすいと言います。
節句には邪気を払うための行事が行われたり、邪気を払うのに良いとされる食べ物を食べたりしました。

端午の端は、訓読みで「はし」ですね。
ここでは、初めという意味です。
午は「うま」。
今では動物のウマの意味では馬と書きますが、「午後」や「午前」という言葉にこの漢字が残っています。
午前とは午の刻(ウマの時間)の前、午後とは午の刻の後ということ。
午の刻とは、お昼の12時を中心とする2時間くらいを指します。
端午の午は午の日のこと。
端午の節句とは、5月最初の午の日という意味だそうです。
必ずしも今のカレンダーの5月5日とは限らないようですが、午(ゴ)の音が5に繋がることから、5月5日に固定されたとのこと。

日本に節句が伝わったのは奈良時代から平安時代とされています。

では、その時から兜(かぶと)や鯉(こい)のぼりを飾っていたかというと、そうではありません。

兜を飾るという習慣は、日本の社会が貴族から武家中心になってから始まったようです。
兜や鎧(よろい)という身を守る道具であって、刀ではないところがミソです。
当時、戦いから無事に帰れることを祈って、神社などに兜や鎧を奉納(ほうのう)する習慣がありました。
守ってくれますように、という祈りが込められているのですね。
今も、男の子を病や事故から守ってくださいという意味で、兜や鎧を飾ります。

鯉のぼりの方は、最初は鯉ではなく、幟(のぼり)だけだったそうです。


江戸時代、男の子が生まれると、神様に知らせて守ってもらうために幟(のぼり)を立てたそうです。
やはり神様は、空から見ていると考えられていたのでしょうか。

どうして鯉が空をはためくようになったのか。
鯉という魚が生命力が強く、大きく育ち、長生きだからだと言われています。

中国の伝説とも関係があります。
登竜門(とうりゅうもん)という言葉がありますね。
そこに着くことができれば出世することができる、そんなところを言います。
例えば、

このコンテストは、新人歌手の登竜門だ。 

というと、そのコンテストでいい成績を挙げればスターになれる可能性が高いということです。

この表現の元となった伝説は、鯉が急流を昇り、龍となって空に飛び立ったというもの。
そこを通れば龍となれる門、それが登竜門です。
つまり、空を泳ぐ鯉は立身出世の象徴なのですね。



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