11月3日の文化の日は、展覧会に行ってしまいました。
たまたま友人に誘われ、その日が文化の日だということには気づきませんでした。
他の日でもよかったのですが、やはりオープニングに行った方が色々な方とお話もできるかな、と。
敬老の日に特に両親を敬うこともなく、体育の日に特にスポーツをするわけでもない私としては、まったく迂闊なことでした。
Higure 17-15 cas というそのギャラリーには、日暮里駅からも西日暮里駅からも行けるということで、千代田線の西日暮里から行こうと思ったのが間違いの始まりでした。
出口1から出れば良いということを突き止め、出口1という方角に向かいましたが、いつの間にか出口1という表示はなくなり、そこにあった改札にスイカをタッチすると、ブーという不快な音が。
自動チャージしているので料金が足りないはずはなく、近くの係員に確かめると、私はいつの間にかJRの改札に来ていたのです。
私が着いたホームは千代田線の西日暮里駅だったのですが。
不幸中の幸いは、子どもを連れてこなかったことでした。
「オープニングだからチップスがあるかもしれない」と言ったのですが、子どもは地球の向こう側の子とインターネット上で待ち合わせがあるようでした。
もし連れてきていたら、翌日から私の言うことを全く聞かなくなっていたでしょう。
千代田線の出口への行き方を教えてもらい、千代田線に着いてから係員に事情を説明し、再びホームを歩き、また別の係員に出口1はどこか訪ねると、
「駅から出たいんですか。」
と聞かれ、とても不思議な心持がしました。
もしかすると、永遠に駅から出られないのかもしれない。
これは永遠に駅から出られないというイベントであり、決して展覧会場に到達できないという展覧会なのかもしれないと思い始めたとき、小さな出口1が見つかり、私はそこから地上へ出たのでした。
そこからの道は実に単純でしたが、暗くなっていて人通りがまばらだったこともあり、本当に行きつけるのか、心もとない感じがしました。
しばらく行くと、塀に布袋様のような鮮やかな色の絵がいっぱい描いてあるところがあります。
まさかここではないだろうと思ったら、そこではありませんでした。
(それは日蓮宗のお寺さんのようでした)
そこからまたしばらく歩いて行くと、右側に人の溢れるギャラリーがありました。
入っていくと、チップスの他に、ソーセージや唐揚げまでありました。
私はそれらには手を付けず(すぐには)、誘ってくれた友人に挨拶をして、1階と2階の作品を見て回りました。
駒形克哉展。
2階のテンペラ画は、かなり好みでした。
『時計草の踊り』という作品名の「時計草」という言葉に私は参ってしまいました。
この言葉はアーティストの発明だろうか、それとも前に誰かが発明した言葉だろうか、この言葉を思いつかなかった私は迂闊だった(この言葉を知らなかった私は無教養だ)と思わずにいられませんでした。
後で調べたら、時計草という植物は本当にあるのですね!
現実は詩より詩的なり。
鑑賞と歓談が一通り落ち着いた頃、アーティストによる「羊羹切り」のパフォーマンスがありました。
ここで種明かしをすることは避けますが、展示されている作品とよく合っていました。
たまたま出会ったフランス人哲学者とのおしゃべりもおもしろく、久々に楽しいオープニングでした。
早く帰らなければならないのでそそくさと会場を後にした私は、帰りは日暮里駅からにした方がいいかもしれないと思いましたが、初めての道を駅まで間違えずに行けるかどうかも心配だったので、帰りも西日暮里駅に向かいました。
出るのは難しかったですが、入るのは簡単で、無事家に帰りつきました。
大変充実した外出でした。
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