2015年12月5日土曜日

風刺と暴力の行方

最初に、そして何度でも言わなければならないのは、新聞の表現が気に障るから凶器を持って乗り込み、息の根を止めるということ、暴力で発言を封じるということが、民主主義の根幹を揺るがす重大事だということです。

忌憚の無い風刺で有名なフランスの週刊新聞、シャルリー•エブドは、イスラム教だけをからかっていたわけではありません。フランスの極右も、カトリック教会も、大統領も、左右両派の政治家も、彼らの風刺の対象でした。タブー無く、何でも笑いの種にしていたのです。裁判を起こされたこともありました。

暴力に訴えたことで、イスラム原理主義者たちは、確実に自分たちの敵を増やしました。原理主義者どころか、一般のイスラム系住民に対する敵も、増やしてしまいました。

ところで、風刺について語る場合、誰が誰を風刺するのかという問題があります。

古典的な風刺を思い起こすと、時の権力をからかったものが多いようです。風刺とは、 普通に闘うにはあまりにも強大な権力を、 力の無い民衆がちくりと刺してクスクス笑い、生きる力とした、そんなものではなかったでしょうか。

フランスのイスラム系住民は、 一部のラッキーな人々を除けば、信仰していようがいまいが、 就職などで差別を受けています。特に9.11の後はそうでした。差別されながら、自分が信じる宗教を風刺され、笑って受け入れる余裕のある人は、どのくらいいるでしょう。

日本のテレビの報道を見ていると、人権の国フランスだから、移民を多く受け入れてきたからこそ、このような事件も起こるという解説がありました。

しかし、事はそんなに単純なのでしょうか。

受け入れられた移民の2世、3世たち。フランスで生まれ、フランスの教育を受けても、社会の中で、平等に扱ってもらえないこともあります。

今回のテロの犯人たちが前に逮捕された時の弁護士が、テレビでインタビューに答えていました。それによると、かつて、犯人の一人は逮捕されたことにほっとしていると語り、今回のような凶暴な事件を引き起こす者とは別人のようだったと言います。

またしても、刑務所にいる間に過激化した人物によるテロが起きてしまったようです。

刑務所の中で何が起きているのか、私は詳しくは知りません。ただ、前にも書きましたが、フランスの受刑者数は、キリスト教徒よりイスラム教徒の方が遥かに多いそうです。にも関わらず、教化のために刑務所を訪れるのは、キリスト教の聖職者だけだそうです。

刑務所以前に、教育の問題もあります。

同じヨーロッパでも、近年移民の受け入れを増やしているフィンランドでは、宗教かモラルの授業が必修です。宗教は、キリスト教カトリック、キリスト教プロテスタント、イスラム教、仏教など、多くの選択肢があり、自分の好きなものを選べるそうです。どの宗教も選びたくない生徒は、モラルを選びます。ある学校では、仏教を選ぶ生徒が一人しかいないにも関わらず、そのたった一人の生徒のために、仏教の先生を雇っているそうです。(フランスの雑誌Geoより)

自分が信じるものを、そこまで尊重してくれた国に、テロリストとして報復する人が、どれほどいるでしょうか。

フランスでは、宗教と教育は分けなければならないという原則があります。公立学校には、宗教の授業はありません。 しかし、私立学校のほとんどはカトリック系です。カトリックを信仰していない家庭の子供も受け入れますが、宗教の授業があります。プロテスタントの子供も、イスラムの子供も、仏教の子供も、神を信じていない子供も、キリスト教カトリックの授業を受けなければなりません。

公立の学校には、かつて、宗教的な価値観を教える代わりに、市民としての権利を教える授業があったということですが、現在は廃止されています。

学校のお休みなど、生活のリズムは、公立も私立もキリスト教の行事で区切られています。クリスマス休み、復活祭休み、万聖節のお休み‥。ちなみにベルギーでは、公式には、春休み、冬休みと、宗教色の無い呼びかたをしています。

フランスとフィンランドでは人口密度も歴史も異なり、簡単に比較する事はできません。テロにはイスラム国への空襲のほか、様々な要素が絡み合い、移民政策だけで解決するとも思えません。ただ、フランスの移民政策が、本当に、自由•平等•博愛の原則に基づいたものであったのか、もう一度考え直してみることは無意味ではないでしょう。

地球上のどこにいても、自らを閉ざすことはできず、多様性こそが未来への道である時代。異なったバックグラウンドを持った人々がどう共生するか、知恵が求められています。

現時点でテロに対する警戒を強めること、また逆テロとも言うべきイスラム系住民への攻撃を防ぐことは、差し迫った応急処置でしょう。それと同時に、長期的な視野に基づいた、冷静で賢明な政策が取られることを望んで止みません。

どんな理由があっても、殺人は許されません。また、フランスが、民主主義の深い歴史を持ち、人権のためにがんばってきた国であることは確かです。その上で、何が足りなかったのか、再検討することも必要では。

2015年1月7日にパリで起こったテロ。いつまでも記憶されることでしょう。同時に、その後どのような政策が取られたか、人々がどのように反応したか、世界がどのように変わったかも、歴史に綴られることになります。

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