2017年10月21日土曜日

ノーベル文学賞を受賞した作家にはどんな共通点があるか


ダイナマイトの発明によって巨万の富を得たノーベル。

彼の兄が亡くなったとき、ノーベル自身がが亡くなったと勘違いした新聞は「死の商人、死す」と書き立てたという。

この時から、彼は自分が死後どのように記憶されるかということについて考えるようになったそうだ。

だから、ノーベル賞には平和賞がある。

ノーベルは文学が好きで、自分でも詩を書いていた。
外国語に堪能であったことから、趣味で文学を翻訳することもあったという。
文学も科学と同じように人類の発展に寄与すると信じたノーベルは、「理想的な方向性の」文学にも賞を授与するようにと書き残した。

ところで、戦後のヨーロッパの文学者たちは、廃墟から出発した点で日本と同じだが、「あんなことをしでかした人類に、これからも文学が可能なのか。」と問うたという。

「あの戦争」の後で、それ以前と同じ意識では書き続けられないことは明白だったのだ。

ノーベル文学賞を受賞した作家たちの名前を見ていると、「歴史的な視座」という言葉が浮かんでくる。

詩人、小説家、戯曲家、哲学者、そしてボブ・ディランという現代の吟遊詩人。
ジャンルは様々だし、スタイルも様々。
前衛的な作家もいればそうでない作家もいる。
共通点はもしかすると、文学的に優れていること+歴史的な視座を持って活動したことではないか。

「社会派」とは言えず、ごく個人的な作品を書いているように見えるモディアノにしても、あの戦争、記憶、曖昧なアイデンティティといったテーマが見え隠れする。

歴史そのものを作品に盛り込むか否かということではなく、歴史を見据える眼差しが感じられるかどうか。

そう考えると、村上春樹氏が受賞しない理由もわかる気がする。

では、しかと歴史を見据え、しかもフランス文学史に革命を起こしたデュラスのような作家はなぜ受賞しなかったのか。

ノーベル文学賞のもう一つの条件は、性そのものをテーマとしないことかもしれない。

小説に性的な描写はつきものだが、性そのものをテーマとしてきた作家は受賞していないように思える。

作家や芸術家は、賞を目指して活動するものではなく、ひたすら「自分の仕事」をするものだ。
その結果として賞を取ることもある。
賞がこういう傾向だからこういう風に書こうというものでもないだろう。

ノーベル賞は重みがある。
 選ぶ方も大変だろうと思う。

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