ノーベル平和賞受賞者にして、中国民主化運動のリーダーである劉氏が亡くなった。
彼は中国の大学で文学の博士号を取った後、ヨーロッパやアメリカの大学に客員教授として招かれた。
1989年、学生による民主化要求の波が高まった時も、コロンビア大学にいたそうだ。
もしあの時中国に帰らなかったら、彼は投獄されることはなかっただろう。
国外から発言を続け、平穏な人生を送ることもできたはず。
それでも彼は帰った。
天安門事件の後、仲間の多くは亡命して国外で活動を続けた。
それも大切なことだと思う。
しかし彼は残った。
大人しく黙るためではなく、批判を続けるために。
批判を封じ込める所に民主主義はない。
そして民主主義は、一度手に入れたら二度と消えることのない当たり前のことなんかじゃない。
あたりまえのことなんて、何一つない。
今、私たちには発言する権利がある。
批判する自由もある。
批判とは創造的なものである。
CNNのインタビューに答え、彼の妻は次のように答えている。
「彼の20年に渡る闘いによって、中国社会は変わらなかった。
でも、彼の考え方に影響を受ける人は増えたし、権力を恐れない人も増えた。」
言論の自由だの三権分立だの、日本では一応法律で保障されている。
けれどそれで十分ではない。
それは当たり前のことではない。
形骸化させないよう、常に気をつけていなければならないのだろう。
中国の故事、荘王の話にある通り、本当に国を思う人は、権力がまずいことをしていると思えば批判する。
自分が可愛いだけの人はおもねる。
その権力が永遠に続くとでも思っているかのように。
CNNの記事はこちら
http://edition.cnn.com/2017/07/13/asia/china-liu-xiaobo/index.html
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