2018年6月16日土曜日

新幹線殺傷事件で思う連帯という言葉の意味 -2-


(前回よりの続き)
新幹線殺傷事件を知って私が思い出した出来事とは、次のようなものだった。

知人のフランス人が東京を旅行していた時、ある駅の近くで一人の男が通りがかりの人たちに暴力を振るっているのを見た。

お年寄りや子どもを殴り、子どもは泣き出したと言う。

そのフランス人は日本語はあまりできないのだが、その男の肩を掴むと壁に押し付けた。

すると幸いなことに、男は大人しくなった。

ところで、その時フランス人が驚いていたのは事件そのものより周りの人の反応だったという。 

他にも大勢人は通ったのだが、誰も介入しなかった。
むしろ関わり合いになるのを避けているようだった。
自分が男に働きかけた時も、誰も加勢に来なかったというのである。

それは、今回新幹線の中で起こった凶悪事件とは比べものにならない、些細な出来事であった。

今回のように相手が素手ではなく、ナタを振り回している時に何ができるだろう。

それでも亡くなった梅田さんは、不断の信念に基づいて、恐らくとっさに行動したのではないか。

女性が一人で殺されてしまった、誰も助けようとせずに、という結末にはならなかった。

関わり合いになった人がいたから。

そしてその人は犠牲になってしまった。 

一人で。


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