2016年6月25日土曜日

ドゴール大統領の最後

写真:studio photos C sabinpaul. Thanks for + 2.184.280 via Visualhunt.com / CC BY


日本に住んでいて、テレビのシナリオを翻訳していたとき、驚いたことが一つあった。

イギリスの番組やフランスの番組を日本語に訳すことが多かったのだが、フランスのテレビ番組のクオリティーの低さに驚いたのである。

もちろん、ARTEは別である。ARTEとは、ドイツとフランスが共同出資したテレビ局。あまり採算を気にせずに、社会問題や芸術、文化関連の番組を作っている。設立は1992年。

私が翻訳していたのは、フランスのNHKに当たる局など、普通にみんなが見る番組である。

特に、同じテーマでドキュメンタリーを作った場合は違いが明白だった。イギリスBBCが作ったドキュメンタリーにはいつも感心させられた。

フランスのテレビ局が同じ場所に行って、撮ってきた映像を構成し、ナレーションを入れると、何も考えないで作っているという印象を受けることが多かった。

なぜ?なぜフランスは、栄光の映画史を持っているのに、テレビはこんなにひどいのか?

フランスで暮らすようになったとき、私は何人かの人に疑問をぶつけてみた。

「ドゴールのせいだ」と答える人たちがいた。

「ドゴールが放送に口を出して、人事にプレッシャーをかけたから、優秀な人たちがテレビから追い出されたのさ」

ドゴールといえば、フランス解放の英雄である。それだけではない。戦後、アルジェリアのフランス軍部が、植民地の独立を認めず、本国に反乱を起こしたとき、それを鎮めたのもドゴールだった。そのせいで、彼はもう少しで暗殺されるところだった。

しかし、ドゴールにはもう一つ二つ、別の顔がある。冷戦時代にフランスの社会主義者や共産主義者を弾圧したのがその一つ。

怪しいとされた人々の中には、今も行方がわからない人もいる。 程度の差こそあれ、正しいと信じる目的のために、自分が嫌っていたスターリンと同じ手段を取ってしまったのだ。



(写真:gildas_f via Visual hunt / CC BY


そんなことをする必要があったのだろうか。後に、フランスは社会主義政党が何度か政権を取ったし、今のオランド大統領も社会党だけど、フランスが社会主義国になったことはない。

ドゴールを批判する人たちは、彼を専制君主のように言う。

確かに、民主主義の柱の一つは言論の自由で、専制君主の特徴の一つは、言論の弾圧だ。そういう意味では、彼らの言う通りなのだろう。

ドゴールが国民投票で負けて辞任したのは1969年。私がテレビの翻訳の仕事をしていたのは1980年代から1990年代。フランステレビ界につけられた傷跡は、ずいぶん尾を引いたものである。

結局のところ、自由が保障されなければ、クオリティーも落ちるということなのだろう。今、フランスのテレビ局に言論統制があるとは思わないけれど、落ちたクオリティーは簡単には回復しなかった。

つい何年か前も、ドゴールとメディアというテーマで本が出ていた。それさえしなければ、彼の評判は、もう少し違ったものになっていたにちがいない。

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