2016年6月22日水曜日

山羊を飼っていた伯父が入院 2


飼われていた山羊の目は、悲しそうに、私には見えた。

仔山羊が一緒にいたこともあった。


仔山羊の目は、悲しそうには見えなかった。

田舎のこととて、公共の交通機関が不便だったため、伯父は車を使っていた。

伯父が前の車を追い越すことはほとんどなかった。

「あせって追い越したところで、目的地に着けば、大して変わらないものだ。」

伯父が追い越したのを一度だけ見たことがある。
前を走っていたトラックの積み荷が緩く、危険を感じた時だった。

伯父の家は、私にとって、避難所みたいなものだった。

両親とケンカした時、突然訪ねたこともある。

伯父は、「来たか」とだけ言った。

伯母も、何も言わずに夕飯を振る舞ってくれた。

私も、何も説明しなかった。説明しなければならないという気もしなかった。

夏になると、トウモロコシが育った。夏休みには、私の背丈より高くなっていて、畑の道に座っていると、空と地面しか見えなかった。

虫たちがしきりに活動していた。

そこは世界一安全な場所だった。

そこは伯父の畑だったから、誰かに咎められる心配もなかった。

私の子ども時代の風景の一つが、失われようとしている。



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