2018年2月6日火曜日

指導死を繰り返さないために - 詩人窪田般彌さんの指導しない指導


校則を破ったことでひどく怒られ、子どもが自殺してしまう・・・

教師が校則を守らせることに汲々としたり、行事の準備が他のクラスより遅れていることで担当教師が肩身の狭い思いをするようでは、何が大事で何が二の次なのかわからない。

詩人の窪田般彌さんに、高校の教師をしていたときの話を聞いたことがある。
かなり昔の話だ。
今ネットで調べて見ると、昭和36年に早稲田大学の講師、39年に助教授になっているから、それよりちょっと前の話だろう。

ある時、学校図書館の本の1ページが破り取られていた。
それは高価な美術書で、女性の裸体画か彫刻のページだったという。
職員会議が開かれた。
誰がやったか突き止めなければという意見が大勢を占める中、窪田先生はそっとしておくべきだと主張したという。
その生徒はその絵に美を感じたんだろう。
将来偉大な画家か彫刻家になるかもしれない。
それに比べたら小さなことだよ。
先生の主張は確かそういうことだったと思う。

こうも言えるだろう。
多感な年頃の少年が性に目覚めているのかもしれない。
みんなの前で彼を辱しめたら、彼の成長は歪んでしまうかもしれない、と。

確かに公共の物である学校の備品を傷つけるのは悪いことだ。
それについては指導をしなければいけないだろう。
しかし、犯人探しをするようなことか。

敢えて犯人探しをしないことが、この場合は指導だったのかもしれない。

これが電車の中で痴漢を働いたとか、ハラスメントをしたとかいうことなら話はまた別である。
また、差別的な言葉やいやらしい言葉を備品に書くなど、他人を傷つけることであったら、やはり話は別である。
  
そうではなかった。
その少年はただ、ギリシャ彫刻に恋をしたのかもしれなかった。 


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