「裁量労働制、俺みたいに仕事が早い人間には歓迎。さっさと終わらせて帰ればいいんだから。」
という感想を漏らす人がいる(ホントかな?)と聞いて感心した。
その人の会社では、量的にも質的にも、仕事が終わったと自分で判断できるんだろう。
同僚や上司、部下がどんなに大変そうでも、決して手伝わないんだろう。
日本の会社は効率が悪いと前々から思っていたが、そんなことで単純に解決できるとは思ってもみなかった。
そう言う人の会社では、人事は誰がどのくらい実質的に仕事してるかちゃんと見てるんだろうな。
上司は新しいアイディアを出してもらうのが好きなんだろう。
できる人に頼るのが上手い同僚もいないんだろう。
嫉妬などという野蛮な感情は誰も持ち合わせていないのだろう。
リストラの恐怖なんてもちろん無いから、嫌なら嫌と言えるんだろう。
自分がリストラされるのが怖くて優秀な人を切る中間管理職もいないんだろう。
仕事が出来れば、椀子そばみたいにもっともっとと盛ってくる上司もいないんだろう。
現行の制度は「趣旨を踏まえて適切に運用」されているんだろう。
会社は社員の「勤務状況を把握し、健康確保措置を講じ」ているんだろう。
「本人の同意」というのは、辞書に載ってる通りの意味なんだろう。
捏造した資料まで使って経団連に屈する政府って何なんだろう。
過労死の遺族の訴えにも耳を貸さない首相と経団連には血も涙も無いのか。
ふと、思った。
本田宗一郎が生きていたら、何と言っただろうかと。
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ウディ・アレンの初期の映画に数多く出演し、私生活でもパートナーだったダイアン・キートンが、ツイッターでアレンを擁護しているそうだ。彼女は、アレンは友達であり、友を信じ続けると書いている。 彼女が根拠としているのはアレン自身の1992年のインタビューである。60分にわたるこのインタビューは信憑性があるというのが彼女の意見なのだろう。汚名を着せられた友人の味方をするのは素晴らしいことだと言っていいだろう。もしかすると、本当に彼女が信じる通りなのかもしれない。が、今回何が真実かは別として、一般的には味方をするばかりが友情ではないとも言える。友達が本当に悪いことをしたら、きっとものすごく悩むだろう。校則を破っちゃったとか、未成年なのにタバコを吸っちゃったとか、学校をサボっちゃったとかいう話ではない。本当に他人を傷つける犯罪の場合である。もう友達じゃなくなるか、かくまうか。あるいは自分が見たいものだけを見続けて、真実には目を覆うか。いや、友達であり続けながら真実を見つめることもできるはずだ。友人が罪を認めるのに付添い、罪を償うのを手伝うことも。こう書くと、子どもが自首する時に親が付き添う場合が思い出される。家族と友達は同じではないが、家族と同じくらいに、あるいはもっと強い絆で結ばれた友達もいる。私たちは、親にばかり育てられるのではない。友達にも、パートナーにも、そして子どもにも育てられる。 信じるばかりが能じゃない。 <スポンサーリンク>スターチャンネル
公私共にパートナーの関係にあったミア・ファローとウディ・アレン。
二人は結婚していたわけではなく、始終一緒に暮らしていたわけでもない。
一緒に暮らすのは大変だと思ったのかな。
経済的に一緒に生活する必要はなかったわけだし。
子育てを分担するにしても、いつも一緒に暮らしていなければできないということはない。
もちろん、ベビーシッターなどを雇う財力もある。
ファローが前の夫と養女にしたスン・イーとウディ・アレンの浮気。
すぐに発覚しなかったのも、いつも一緒に住んでいたわけではないからだろう。
アレンは、スン・イーとは最初は遊びのつもりだったが本気になったと語っている。
後に二人は結婚し、養子を迎える。
アレンに性的虐待を受けたと訴えているのは、当時まだ幼かったディラン・ファロー。
この時アレンとミア・ファローは親権争いの真っ最中だった。
そのせいで、復讐に燃えたファローのでっち上げ説が囁かれた。
ところで、カップルが壊れてなくて、まだ運命共同体でいるときに同じようなことが発覚したらどうなるのだろう。
もみ消される場合も多いのではないか。
性的虐待に限らず、肉体的暴力や精神的虐待。
経済的に一緒に暮らす必要がある場合、声を上げられない被害者や家族も多いのではないか。
アレンの場合は、虐待の疑い以前に、養女に無理矢理自分の親指をしゃぶらせるなど妙な行動が見られたため、セラピーを受けていた(受けさせられていた?)という話もある。
ミア・ファローがアレンにセラピーを勧めたとすれば、ミア・ファローは彼を見捨てずに子どもを守ろうとしたということになる。
仮にそうだったらの話だが、それはとても難しいことだと思う。
そして、そのような難しいことをしているのは、有名人だけではないだろう。
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ミア・ファローとの関係が破綻した後も、ウディ・アレンは毎年のように映画を発表し続けた。
ファローの方も、女優として活躍するばかりかユネスコの親善大使となるなど、精力的に活動している。
ただ、かつて話題作に出演していた彼女にしては、作品に恵まれていないような気がする。
「作品はともかくとして彼女の演技はすごい。」みたいな評価はあるようだが。
ウディ・アレンは、 別れた後の1993年にも、女優としてのミア・ファローを褒めちぎっている。
自分たちの食い違いは私生活でのことで、演技者としての彼女については良いことしか言えない、
彼女はとてもクリエイティブだ、
彼女はハリウッドで過小評価されている、もっと評価されるべきだ、などなど。
これは感情的な言葉ではなく、映画人としての客観的な評価なのだろう。
個人的にこじれてしまうと、客観的なことを全く言えなくなってしまう人もいる。
アレンがファローのことを掛け値無しに褒めているのを読むと、少しホッとするというか、逆に涙が出てきてしまう。
この発言からすでに時はたち、今彼が同じことを言うかどうかはわからないけど。
最近彼の友人が彼について本を書き、その中では、「彼は性的虐待などしたことはない」という長男の言葉が引用されているらしい。
これから何が起ころうと何が明らかになろうと、私はやっぱり二人が一緒に創った映画を見るだろう。
MeTooムーブメントが前進であることは間違いない。
しかし前進とは、必ずしも楽しくはない。
私たちは、泣きながら歩いていく。
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前にも書いたが、ミア・ファローは1980年代にウディ・アレンと出会う前から女優として高い評価を得ていた。ウディ・アレン監督にスターにしていただいたわけではない。1960年代の終わりから70年代にかけて、『ローズマリーの赤ちゃん』『ジョンとメリー』『華麗なるギャッツビー』などの話題作に出演。忘れ得ない印象を残している。舞台女優としても活躍している。ウディ・アレンと一緒に仕事をするようになってからも、ある時はコミカルな美女、ある時は色気ゼロの女、ある時はおバカ、またある時は誠実な精神科医と、活躍した。役柄の幅は広いが、器用という感じはしない。何でも徹底的にやるので、つい引き込まれる。シリアスな『セプテンバー』で感情を爆発させる時など、トラウマを背負った少女のようで胸を突かれる。全ての役柄で説得力がある。アレンはさぞかし重宝したことだろう。 が、彼女の作品として私が一番好きなのは、 1972年の『フォローミー』という小品である。堂々たる名作でもないし、話題作でもない。佳品というのが相応しい一粒の真珠のような作品。元々は舞台作品で『パブリックアイ』というタイトルだったらしい。監督は『第三の男』や『堕ちた偶像』で知られるキャロル・リード。『第三の男』で音楽が印象的だったように、『フォローミー』の音楽も耳に残る。共演は『屋根の上のバイオリン弾き』のトポルで、とてもいい味を出している。以前の記事で、ウディ・アレンは若い女性に色々教え込むのが大好きなんだろうと書いた。奇しくもこの映画のヒロインは、夫が先生ぶるのにウンザリしてしまった女性。 愛に溢れたエンディングで心が暖まる。 <スポンサーリンク>
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ウディ・アレンの養女に対する性的虐待が問題となる中で、それでも彼の作品だけは素晴らしいという意見はよく聞く。
それに対して、養女の母であるミア・ファローの女優としての素晴らしさについては、日本やフランスではあまり語られていないように思う。
私が知らないだけかもしれないけど。
ウディ・アレンが告発されると、ミア・ファローもさんざんなことを言われた。
母親が子どもを洗脳してありもしない話をさせたとか、彼女の方こそ養女や養子を虐待していたとか。
外野の私たちには、何が本当なのかわからない。
ウディ・アレンの性的虐待に対する告訴が取り下げられた一方で、 親権を争う裁判ではミア・ファローが勝訴。
養女は養父から守られる必要があると判断され、ウディ・アレンは娘に会うことができなくなったらしい。
このあたりのことは、彼の映画(確か『ミランダ、ミランダ』だったと思う)にも出てくる。
映画の中では、不倫をした女性が裁判に敗訴し、子どもと会えなくなるという設定だった。
女性は、不倫をしたのは事実だが子どもと離れるつもりはなかったと嘆き悲しむ。
すると誰かがこう言う。
「お子さんが大きくなったら、自分とお母さんを引き離した父親を、逆に恨むようになるでしょう。
お子さんはいつかあなたのところに戻ってきますよ。」
しかし、アレンの実人生の中ではそうはならず、成長した養女は新たに彼を告発した。
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空間に放たれた一本の矢。
金子兜太さんの俳句はそんな感じだった。
その矢はぐぁっと感覚を広げる。
世界を広げる。
たくさんのお仕事に感謝。
これからの俳句はどこへ。
これからの憲法はどこへ。
ハリウッドのMETOOムーブメントを「魔女狩り」だとする意見はヨーロッパにもアメリカにもある。
ところで、ハリウッドの魔女狩りと言うと、すぐに思い出すのはレッドパージ(赤狩り)である。
しかし、この二つは根本的にちがうのではないか。
METOOムーブメントは、これまで声を挙げられなかった被害者が立ち上がったもの。
レッドパージ(赤狩り)は、政府による上からの思想弾圧である。
実際に旧ソ連のスパイがいたのは事実だとしても、貧富の格差に声を挙げたり、労働条件の改善を求めただけでも、「アカ」だとされて仕事を失う恐れがあった。
ハリウッドの脚本家や俳優にも政府から目を付けられた人々が大勢いた。
その影響は大きく、あのチャップリンもハリウッドから追放されてしまった。
劇作家のアーサー・ミラーも疑いを掛けられ、当時妻だったマリリン・モンローまで呼び出された。
話を元に戻そう。
ハリウッドで検討中の契約について、弁護士のリンダ・リヒターさんは次のように言っているそうだ。
「私はMETOOムーブメントに心から賛同しています。
でも、誰かが実際に犯罪を犯したということと、誰かが他の人によって告発されただけでその人を首にできてお金も払わないでいいということは、全く別の問題です。」
この契約には、METOOムーブメントを「魔女狩り」におとしめてしまう危険性がひそんでいるということだろう。
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METOOムーブメントを受けて、ハリウッドの映画スタジオが新たな項目を契約書に付け加える、と読んだらどんなことを思い浮かべるだろう。ハリウッドレポーター誌によれば、20世紀フォックスを始めとして、大小のスタジオが検討中とのこと。 俳優のケヴィン・スペーシーはかつての子役による告発が元で、「ハウスオブカード」を降ろされることになった。が、現在の契約だと、その後も製作のNetflixは高額なギャラを払い続けなければならないと言う。現在検討中の項目は、相手の感情を著しく傷つけることや社会通念上認められないことをしてイメージがひどく損なわれた場合、制作側が契約を打ち切ることを可能にする。ケビン・スペーシーはリドリー・スコットの映画"All the Money in the World" からも外され、クリストファー・プラマーが代役を務めた。このことによる損害は、1000万ドルとも言われている。こんな事が何回も起こったら、確かにプロダクションにとっても死活問題だ。ただ、見出しだけ読んで、被害者救済のために新たな項目を加えるのかなと思った私は、完全に当てが外れた。契約内容を新しくしても、被害者の視点は不在のまま。さらに、この条項については危険性を指摘する声もある。(続く)
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フランスなどでは、「こんにちは」や「さようなら」と一緒に頰に軽くキスし合う。実際にくちびるが触れる必要はなく、ただチュンっとくちびるを鳴らすだけでいい。「風邪を引いているのでビーズ(かるいキス)できないんです。」と言う場合もある。そう言ってるのに「なぁに、そんなの構いませんよ。」とビーズされてしまう事もある。ハグにしてもビーズにしても握手にしても、欧米には体に触れるコミュニケーションが多いわけだが、このような習慣もこれから変わっていくのだろうか。慣れ親しんだ習慣が変わるのは寂しいと思う人もいるだろう。ただ、フランス人男性にこう聞いたこともある。「なんで親しくもないのにわざわざ風邪をうつし合
フランスなどでは、「こんにちは」や「さようなら」と一緒に頰に軽くキスし合う。実際にくちびるが触れる必要はなく、ただチュンっとくちびるを鳴らすだけでいい。「風邪を引いているのでビーズ(かるいキス)できないんです。」と言う場合もある。そう言ってるのに「なぁに、そんなの構いませんよ。」とビーズされてしまう事もある。ハグにしてもビーズにしても握手にしても、欧米には体に触れるコミュニケーションが多いわけだが、このような習慣もこれから変わっていくのだろうか。慣れ親しんだ習慣が変わるのは寂しいと思う人もいるだろう。ただ、フランス人男性にこう聞いたこともある。「なんで親しくもないのにわざわざ風邪をうつし合わなくちゃいけないんだ?馬鹿げた習慣だよ。」 いつでも誰とでもはハグしたくないと思っていた人は、男性にも女性にも以前からいるにちがいない。 子どもの頃の記憶を辿れば、思い当たる人も多いのでは。大人に頰を触られたり、もっとひどい時はつねられたりして、迷惑した経験はないだろうか。親愛の情を表すにしても、相手の気持ちを考えることくらい出来るはずだ。そうでなければ、それは最初から親愛の情などではなかったんだろう。<スポンサーリンク>
METOOムーブメントを受け、どんな風に振舞ったらいいかわからなくなってしまったという男性も多いようだ。
インディペンデント誌やニューヨーカー誌によれば、ハリウッドのオフィスでも事情は同じらしい。
女性が男性の執務室に入るとき、ドアを開けておくように男性から頼まれることが多くなった。
こう語るのはある女性プロデューサー。
男性からのこんな声もある。
「余程の事がないとハグできなくなった。
誰かが父親を亡くしたとか、親友同士でもない限り、もうハグもできない。」
暖かくて安心するハグ。
ハグがダメなんて考えすぎじゃない?と思う人もいれば、ハグも時と相手によっては嫌だと感じる人もいるだろう。
日本では元々同僚同士でハグはしないので、その辺の事情は少し違う。
「ハグ」とカタカナで言わなければ言葉が無いくらいで、挨拶としての抱擁の習慣は日本には無いから。
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声を挙げる勇気。
辛い体験を話す痛み。
簡単なことではない。
聞く方にとっては、勇気付けられることもあれば、心が痛むこともあるだろう。
自分が素晴らしいと思っていた人の別の面を見せられてショックを受けることもある。
ショックのあまり、証言は嘘だと決めてしまう人もいる。
しかしこれまでも、告発はそのようにして押しつぶされてきた。
どんなことにも冤罪はあるから、虐待やハラスメントにも冤罪はあり得る。
公正さ、検証が重要であることは言うまでもない。
その上で、声を挙げられるようになったこと自体は歓迎すべきことだ。
USA Todayは、俳優のジョアキン・フェニックスへのインタビューを伝えている。
「男たちは『そんなつもりはなかった』と言うかもしれない。
(・・・)
時には女性たちにとっても当たり前のことになってしまって、話さなかったこともあるだろう。
『あーあ、こういうのにうまく対処しなくちゃ』という感じで。
それが今、かつては普通のことだったかもしれないけど、これからはそうであって欲しくないというふうに変わってきている。」
彼はさらに言う。
「今はエキサイティングでラディカルな時。
同時に、痛みを伴う時だ。」
その通りなのだろう。
METOOムーブメントは決して楽しいものではない。
新しい時代を産むために、痛みが不可欠となっている。
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ウディ・アレンによる性的虐待の疑いが最初に話題になった時、長男はこう言ったと伝えられている。
「もちろん父はそんなことはしたことがない。妹は母に洗脳されて作り話をしている。」
弟の方は最近になって口を開き、
「当時5歳だった僕の目にも、父の行動は変だった。自分の親指をしゃぶるよう娘に強要したり、 夜中に娘のベッドに入り込んだり。だからセラピーを受けることになった。」と書いている。
さらに、「姉を信じている。」と。
どちらが真実を語っているのか。
そんなことは私たちにはわからない。
ただ、どちらの証言が真実味があるかはわかる。
兄が言ったことは、客観的に見て不可能だ。
誰一人、父娘を24時間365日見ていた者はいないのだから。
「僕の知る限り、父はそんなことはしたことがない。」と言えば客観性があるのだけれど。
父を信じるという主観的な自分の気持ちを言いたいのなら、
「僕は父を信じている。」と言えばいいだけのこと。
ダイアン・キートンが
「私は友(ウディ・アレンのこと)を信じる」と言ったように。
「僕が知っている父はそんな人ではない。」とか
「父がそんなことをするなんて僕には信じられない。」とか
他にもいくらでも言い方はある。
だが、「父はそれをしていない。」と彼の立場で言っても、真実味はないのだ。
それは伝え方の問題である。
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この中学校では、チャイムも鳴らない。生徒たちは自分で校内の時計を見て行動するよう促される。新一年生もすぐに慣れ、時間を守るようになるそうだ。先生が生徒に怒鳴らないで非行が減ったこと。チャイムを鳴らさないことで生徒が時間を管理できるようになったこと。こんな事例を見ると、自主性ってなんだろうと思う。自主性を持ちなさい持ちなさいと言うから自主性を持つようになるわけではない。子どもが元々持っている自主性を発揮できるチャンスを与えることが大事なんじゃないかな。自主性があるから信用するんじゃなくて、信用すると自主性が生まれるということもあるんじゃないかな。手取り足取りチャイムを鳴らして時間を知らせていると、自分で時間を管理することを覚えないんじゃないかな。「生徒にとっては、実はこのほうが大変なんですよ。自分で判断しなくちゃいけないんだから。」とは当の校長の言葉。もちろん、自分で考えて何をやってもいいというわけではない。必要とあらば校内の出来事であれ、警察を呼ぶということも明記されている。その必要は、実は今ではなくなっているようだが。<スポンサーリンク>
その公立学校は、かつてとても荒れていたそうだ。今だって小さな問題はあるにちがいないが、 評判は上がり、入学希望者もずいぶん増えた。ある生徒のお母さんは自分もその学校で学んだそうだが、当時は「窓ガラスは基本、割れていました。」と語る。今では考えられない。この学校が変わったきっかけは、校長が「生徒を怒鳴らない」と決めたことだったという。もちろん校長だけではなく、教師全員が生徒を怒鳴るのをやめた。怒鳴らないと言うことを聞かない、怒鳴らないと子どもの集団はめちゃくちゃになる・・・そのような先入観が多くの学校で信じられていると思う。「怒鳴らないのは理想だが、現実には怒鳴らないわけにいかない」と。しかし結果として、この学校は生まれ変わった。非行は明らかに減ったのだ。
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前に、スタディサプリは塾に行きたくない場合にもオススメと書いた。考えてみたら、学校に行きたくない、行けない場合にも自習の助けになるのでは。もちろん、リアルに指導してもらえるフリースクールなどに行ければその方がいいにちがいない。そもそも、学校が行ける場所になるのが一番。それでも、取りあえず次善の策として、スタディサプリなどの通わないでもいいツールは使えると思う。学校に行けないからといって、学習の権利まで奪い取られてしまうことはない。 高等学校卒業程度認定試験に合格すれば、大学受験や様々な資格試験に挑戦することもできるようだ。
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校則を破ったことでひどく怒られ、子どもが自殺してしまう・・・
教師が校則を守らせることに汲々としたり、行事の準備が他のクラスより遅れていることで担当教師が肩身の狭い思いをするようでは、何が大事で何が二の次なのかわからない。
詩人の窪田般彌さんに、高校の教師をしていたときの話を聞いたことがある。
かなり昔の話だ。
今ネットで調べて見ると、昭和36年に早稲田大学の講師、39年に助教授になっているから、それよりちょっと前の話だろう。
ある時、学校図書館の本の1ページが破り取られていた。
それは高価な美術書で、女性の裸体画か彫刻のページだったという。
職員会議が開かれた。
誰がやったか突き止めなければという意見が大勢を占める中、窪田先生はそっとしておくべきだと主張したという。
その生徒はその絵に美を感じたんだろう。
将来偉大な画家か彫刻家になるかもしれない。
それに比べたら小さなことだよ。
先生の主張は確かそういうことだったと思う。
こうも言えるだろう。
多感な年頃の少年が性に目覚めているのかもしれない。
みんなの前で彼を辱しめたら、彼の成長は歪んでしまうかもしれない、と。
確かに公共の物である学校の備品を傷つけるのは悪いことだ。
それについては指導をしなければいけないだろう。
しかし、犯人探しをするようなことか。
敢えて犯人探しをしないことが、この場合は指導だったのかもしれない。
これが電車の中で痴漢を働いたとか、ハラスメントをしたとかいうことなら話はまた別である。
また、差別的な言葉やいやらしい言葉を備品に書くなど、他人を傷つけることであったら、やはり話は別である。
そうではなかった。
その少年はただ、ギリシャ彫刻に恋をしたのかもしれなかった。
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スタディサプリ ENGLISH まずは無料体験!
中学生用スタディサプリを始めて1カ月ちょっとです。
5教科入ってますが、今までのところ、理科、数学、社会をやってみました。
子どもが学習した翌日には、「〇〇さんの学習状況」なるものが私のメールに届きます。
これを見ると、何分間授業動画を見たか、練習問題の正答率が何パーセントだったか、分かるようになっています。
我が家の場合、正答率が低くても注意することはありませんが、
「動画視聴時間0分って何⁉︎ やったって言っても、急いで練習問題片付けただけかいな。」
ということは何回かありました。
でも、このアプリだと嫌がらずにせっせと勉強します。
神授業と言っても、合う合わないは当然あると思います。
私の子どもは理科の授業が気に入っているようです。
授業が気に入らなければ、科目によっては練習問題して答え合わせするだけでもいいかなと思っています。
塾や家庭教師と比べると破格の値段、老舗の添削と比べても安いですね。
添削のサービスは付いてないから当たり前といえば当たり前ですが。
質問もできません。
それでも、5教科全部やらないでも元が取れるのでは。
スタディサプリの高校講座の方は、合格特訓プランというのを取ると、コーチがついてくれるそうなので、質問ができるのでしょう。
もちろん、その分高くなります。
それでも一般の塾や予備校よりはずっと安いようです。
今まで中学講座をやってみた感じでは、苦手科目の克服にいいと思います。
得意科目を伸ばすとか難関校を目指すのなら、難問がいっぱい載っている問題集も必要だと思います。
勉強の習慣をつけたい、塾でイジメられるのはイヤ、塾の先生はちょっと遅刻しただけでガミガミ言うからイヤ、 夜遅く通わせるのは心配、マイペースで勉強したい・・・
そんなお子さんにオススメ。
そうそう、タブレットやipad、パソコンをいじるのが好きなお子さんにもオススメです。
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「指導」が不適切なものとなってしまったり、後で検証が難しくなる原因の一つに、密室の問題がある。
他に誰も見ていないと歯止めが効かなくなる。
事が起こった後では、誰も証人がいない。
フランスの中学高校で教員をしている友人たちは、男性も女性も、決して生徒と二人きりにはならないという。
どうしても一対一で話さなければならない時は、ドアを開けておく。
あらぬ疑いを掛けられないためである。
幼稚園や小学校でも、放課後や休み時間に生徒に居残りをさせる場合、親の許可を取ることになっている。
日本でも、学習塾などでは生徒と二人きりにならないよう指導しているようだ。
一般の学校でも、何か決まりを作ることが必要なのではないか。
生徒のプライバシーとの関連で難しいこともあるだろう。
先生に内緒で相談したい問題もあるだろう。
それでも、なにか工夫できると思う。
プライバシーといえば、教員の個人情報に関しても無防備なところが多い。
かつてはそれで良かったのかもしれないが、 何らかの規則が必要な時が来ているのかもしれない。
指導死してしまった子の中には、校門で怒られていた子もいると聞く。
他の子が何人も見ていた。
なぜ死んでしまうまで情報が伝わらなかったのか。
子どもたちの声を届きやすくすることも必要だろう。
もちろん、言ったもの勝ちではなく、きちんと調べなければいけないわけだが。
また、教員同士で、他の先生がやっていることに口出せないみたいな雰囲気はないだろうか。
先生同士の議論や授業見学がもっと気軽にできた方がいい。
何よりも教師としての向上につながる。
気軽にできれば普通のこととなり、教師としての自尊心も傷つきにくいのでは。
かつては保護者の授業見学は一年に一回だけだった。
今は毎月ある。
フランスなどでは考えられない。
フランスでは、学校に入る前は中を見ることができる。
授業を見せるところも珍しいが無いことはない。
が、入学してしまったら最後、自分の子どもが受けている授業を見る機会は皆無だ。
教師と子どもが密室で二人きりになることはないにしても、他の大人が教室に入ることは滅多にない。
学校は、これまでも進化してきた。
これからも、進化していけるだろう。
そこで学ぶ者にとっても、働く者にとっても、安全で有意義な場所へと。
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ニュースによれば、「指導」の後死んでしまった生徒たちは、別に「悪いこと」をしたわけですらない。
学校でお菓子を食べた。
学校行事の準備が進んでいなかった。
これらは「悪いこと」ではない。
「校則に反すること」に過ぎない。
集団生活をする上で、最低限でも規則は必要だろう。
だから、学校ごと、会社ごと、家庭ごとに規則がある。
他所ではいいかもしれないが、この集団ではそれはしないことにしよう、ということだ。
それとは違って本当に悪いこともある。
他人を傷つけること、自分を傷つけること、仲間外れにすること、いじめること、盗むこと、殺すこと、あいつが盗んだと嘘を言って人を陥れること、などなど。
したことの重大さに応じて叱り方にも軽重をつけないと、指導にはならない。
例えば親が、他の子をいじめた時よりテストの点が悪かったときに厳しく叱りつけたとする。
子どもに与えるメッセージは「テストの点さえ良ければいじめてもいい」であろう。
大人は叱ることによって子どもに価値観を伝えている。
小さなことで一々ガミガミ言っていると、指導死には至らなくても、子どもには何も伝わらない。
どんなに叱っても、いつも鳴っている雑音のようなものと化し、意味が伝わらなくなってしまう。
例えば、学校でお菓子を食べた程度のことなら注意に留め、仲間外れがあったら真剣に叱ってみてはどうか。
子どもは何が大切なことなのか、感じ取るだろう。
「服装の乱れは心の乱れ」みたいな言い方が一部でなされているようだが、本当だろうか。
詐欺師はいつも、きちんとした身なりをして、挨拶も立派なものである。
ノーベル賞を取るような研究者や芸術家は往々にして服装に無頓着だ。
形から入って心を整えるというのは確かに一理ある。だが、形ばかりに拘っていては何も始まらない。
わざと校則を破る子がいたら、その子は先生や親の関心を引きたいのか、反抗したい理由があるのか、あるいは単に反抗したいお年頃なのだろう。
自分なりのオシャレをしたいお年頃なのかもしれない。
学校や家庭で指導を誤れば、非行に走ることもある。
鬱になることもある。
指導死は最悪のことの一つ。
指導死しなくても、問題がないということにはならない。
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