2018年3月3日土曜日

瀬戸内寂聴さんの素直さに感動 -2-


そう、瀬戸内寂聴さんの生き方は私には関係ないと言えばない。
が、私もかつて子どもだったし、今は親となっている。
子どもの時もいろいろ感じていたし、今、親として自分の子ども時代を思うこともある。

周囲にも様々な親子がいる。
考えることはいっぱいある。

子どもが幼いとき選択をするのは常に親で、幼い子どもには選択はできない。
親は、自分の選択を自分で引き受けるしかない。
それが本当に正しい選択だったのかどうかは、何十年も経たないとわからないのかもしれない。

何十年経ってもわからないかもしれない。

色々な親子を見てつくづく思うのは、子どもを置いて家を出た人と、「子どものために」と思って踏みとどまった人と、どちらが子どもにとって本当に良かったかわからないということだ。 

他に世話をする人もいないのに子どもを棄てて飢えさせるのは言語道断だけれど。

どんな子も親が好きだ。

そしてどんな親も不完全だ。

これは考えてみると恐ろしいことだ。

親は幼い子どもの上に絶大な影響力を持ってしまっている。

そして、親が親なりに子の幸せを願うように、子どもも子どもなりに親の幸せを願っているものだ。

幼い子どもは親との一体感が強く、親の心の動きに敏感な子が多い。

その結果どうなるかというと。

親が自分のために犠牲になっていると感じると、子どもなりに罪の意識を背負い込んでしまうこともある。

それが性格形成や将来の子ども自身の選択に影響を及ぼすこともある。

だから、大人は自分の選択なり決断を子どもの背中に背負わせないことだ。


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